「未来予測の限界」の続きになります。人工知能が暴走すると、人類の危機になる可能性があります。そのような犯罪的な問題ではなく、普通に検索機能や文章作成機能を使っている場合の問題も見えてきました。
人工知能に頼ることで、人の能力が向上しないのです。簡単に言うと、小学校で算数の計算問題を教える際に、電卓を渡すようなものです。大きな桁の足し算、かけ算や割り算を覚えることなく電卓に頼ると、早く正しい回答を得ますが、子供の計算能力は身につきません。
文章作成を人工知能に頼ることも、同じでしょう。学生が論文を書く際や従業員が仕事について企画書を書く際、人工知能に頼っていては、能力が向上しません。すると、人工知能が書いた文章を評価することもできなくなるでしょう。人工知能と「壁打ち」(意見交換してよいものに作り上げる)するにも、打ち返せないのです。
「機械ができることは機械に任せるべきだ」という説があります。半面は正しいのですが、それでは人は育ちません。手を動かすことと頭を動かすことは、別問題です。便利な機械は活用すべきです。しかし頭を機械に代行させては、その時はよい成果が早く手に入っても、中長期的には人と組織の自滅を招くでしょう。人は育たず、組織は弱くなります。
企業でも、外注してよいことと、内製すべきことがあります。
コメントライナーへの寄稿「役所にも人工知能がやってくる」(2023年10月12日)に次のようなことを書きました。
・・・役所の業務全体の問題として考えてみると、行政改革や人員削減によって、機械化や外注が進みました。調査や企画を調査会社に委託 丸投げ することも多くなり、工事の発注も施工だけでなく設計 段階 から企業に委託することが広がっています。
その結果、職員が考える機会が減り、設計できる職員が減って、成果物企画書や設計図と工事を評価する能力も低下していると聞きます。ある知事が現状に危機感を持ち、催し物を委託せず職員だけにやらせました。前例と経験がなく、職員はとても苦労したそうです。
文章作成も同じです。着想と「文章の肝」において、職員の独創性 が試されます。しかし機械に頼っていると、その能力は向上しません。企画や施工を委託していると、考える能力だけでなく、納入された成果物を評価する能力もつきません。そのような職員は、もう使われないのでは。仕事を手抜きの場と考えるか、能力を磨く場と考えるか 。職員が生き残れるかどうかは、この差でしょう・・・