『アジア時報』7・8月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第14回「一五日あったらどう使う?─官吏暑中休暇のてんまつ」が載りました。今回は役人の夏季休暇についてです。
明治6年の公文書には、奏任(官)以上は15日以内、判任(官)以下は5日以内の夏休みを与えると書かれています。奏任官、判任官、そして雇の区分については、本文をお読みください。夏目漱石の「坊ちゃん」を引用した説明があります。
また8月中は8時出勤、12時退出とされています。結構、働いていませんね。現在より暑くなかったのに。もっとも、冷房もなかったです。
私が採用されたときに、事務室に冷房はあったのかなあ。いつ頃、冷房が入ったのでしょうか。後に残業していると、冷房が切られ、暑くなった記憶はあります。地下鉄に冷房が入ったのは、まだ最近です。とてもムシムシしたことは覚えています。
大正11年に、季節ごとに変動した勤務時間を統一します。平日9時~16時、夏は8時~15時。土曜日は9時~15時、夏は8時~12時。その決定に官僚から反対意見が出て、それも記録されています。
あとは本文をお読みください。戦前とつい最近まで、官僚は無定量の勤務が期待されていました。これらの勤務時間の規定と「無定量」との関係、そして勤務実態はどうだったのか。知りたいです。
脱線すると、天下国家を考えることと、労働を時間で売る(測る)ことは、整合性がとれません。経営者や学者にとっての勤務時間と同じかもしれません。