連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第271回「これまでの議論ー「政府・市場・社会」の三元論」が発行されました。
豊かな社会を実現したら、「人間らしい生き方への被害」という新しい弱者が発見されたことについて論じています。極めて簡単にまとめると、19世紀には労働者を発見し、次に働けない人たちを、20世紀後半に消費者を、21世紀には社会生活において自立できない人を発見したと言えるでしょう。近代の行政の歴史は、弱者を発見し、それに対する救済の方法をつくってきた歴史です。ところが「人間らしい生き方への被害」の対策は政府と個人との関係の転換を求めています。それは、憲法にも及ぶ大きなものです。
近代市民社会の考え方は、自由権を保障することが政府の役割から出発し、その後、自立できない人生活を保障することが、政府の役割に加わりました。社会権です。現在の憲法学は、この異質な二つの思想を同居させ、「接ぎ木」しています。
しかし、引きこもり、若年無業者、うつ病や自殺の増加といった孤独・孤立問題への支援は、この自由権と社会権という二つの論理には収まらないのです。支援を求める人たちは、国家に対して「××が不足しているので支援してほしい」とは主張しません。その人たちへの支援は彼ら自身の国家への請求権によるものではないのです。
近代市民社会の理想は自由な個人でしたが、後期近代には自由の進展により、孤独・孤立からくる問題が噴出してきました。それは、孤立している個人の生活の不安だけでなく、アメリカに見られるように人々を分断し共同体を壊すことによって、国家としての政治的統合や、社会の安定をも揺るがしています。
社会的包摂には、国民自身の意識と行動が必要です。社会から一部の人たちを排除しているのは、周囲の国民なのです。ここにあるのは、政府対国民の対立の構図ではなく、社会とそれをつくっている大多数の国民と、何らかの理由でそれに入れない少数派の対立です。
続く「第4章 政府の役割再考」「2.社会と政府」(第97〜150回)では、これらの変化を念頭に、これからの政府の役割を検討するために、社会と政府の関係を見直しました。
「政府対国民」では対応できない課題も、世の中(広義の社会)は「政府・市場・社会(狭義の社会)」の三つからできている、と考えると分かりやすいです。そして、企業は私益を追求するだけでなく、その活動を通じて世の中を支えているのです。それは、慈善活動などの社会貢献ではなく、企業活動そのものが果たしている役割です。