講義は難しい

これまで何度も講義や講演をしましたが、何度やっても、しゃべることは難しいです。まず、本人の実感と反省があります。「今日はうまく話せたな」「観客の受けがよかったな」と思うときと、「今日はいまいちだったな」と思うときがあります。他方で、研修講義などでは、参加者による評価が出ます。なかなか満点は、もらえません。

市町村アカデミーでの研修生による講師の評価を見ると、高い評価の講師とそうでない講師がいます。中には全員が高評価の講師がおられます。尊敬します。
他方で、研修生の評価が低い講師がいます。その理由は、研修生の聞きたいこととズレていた場合や、内容はよいのに講師の言いたいことがうまく伝わらなかった場合があるようです。
前者は、学校側が講師に講義の趣旨目的を十分伝えていなかったことも考えられます。これは、事前の説明と打ち合わせで防ぐことができます。

後者は、伝え方が下手なのです。いくつか型があります。
・資料を棒読みする講師。
・早口、小声で聞き取りにくい講師。
・内容を詰め込みすぎで、消化不良になる。結局何を伝えたいのかが分からない。
この3番目は、公務員によく見ることができます。私もよくやりました。今も、時々やってしまいます。
昔は「時間が余ったらどうしよう」と心配して、たくさんの内容を準備したものです。これは、ダメでした。たくさんのことを伝えたいと思うのが、逆効果になっています。過ぎたるは及ばざるがごとし。

その対策は、私の場合は、講義の最初に「今日はこれだけを持って帰ってください」と、要点を3つほど挙げることです。そして、思い切って資料を簡素化することです。
公務員の講師は、しばしば執務で使っている説明資料を投影して説明します。これは絶対ダメです。
パワーポイントの資料は文字数が多くて、投影されても聴衆は読み取ることができません。投影するなら、絵や写真で、文字なら3行ほどの要点にしましょう。たくさんの資料を伝えたい場合は、講義とは別に「持ち帰り資料」にするとよいです。

性教育の重要性

6月14日の朝日新聞オピニオン欄、助産師・桜井裕子さんのインタビュー「人生のための性教育」から。

――学校の講演やSNSなどで、桜井さんは性について相談を受けてきました。子どもや若者はどんな悩みを持っていますか?
「8~9割は確認したいこと、体のことで、話を聞いてもらってホッとしたかったという感じ。でも1割強は妊娠や性暴力など深刻な内容です。女子の悩みで一番多いのは月経で、『つらい』『バラバラ』などの相談です。毎回3回以上痛み止めが必要なら、婦人科に行った方がいいと言います。痛みの原因は見極めた方がいい。保護者から『それぐらい我慢したら』と言われ、悩んでいる女子は少なくありません」
「男子は自分の性器についての悩みがすごく多い。総じて『小さいとモテない』と思っているようです。人それぞれでいろんな性器があることを説明すると安心するようです」

――日本の学校の性教育は紆余曲折がありました。
「1992年は性教育元年と呼ばれ、改訂された学習指導要領が施行されて小学校から『性』を本格的に教えるようになりました。エイズ予防が背景にあったと思います。私もコンドームの使い方を教えてほしいと要望されましたし、当時は何の制限もかけられていなかったことを覚えています」
「しかし、2003年に当時の都立七生(ななお)養護学校の事件が起きます。在校生同士が性関係を持ったことから教員が知的障害のある生徒向けの独自の性教育プログラムを作りました。性器の部位や名称を入れた歌や人形を使うものでした。が、都議会議員が『不適切』と批判、教育委員会が校長や教員を降格や厳重注意処分にしました。その後、裁判で処分は違法と認定されたものの、以降、性教育が一気に萎縮した。私もある学校で校長から『バッシングされたらどう責任をとるのか』と性交の話を避けるように言われました」

――なぜ性教育で性交の話をしてはいけないのですか。
「学習指導要領には学習内容を制限する『はどめ規定』と呼ばれる規定があり、1998年の改訂で『妊娠の経過は取り扱わない』と明記されました。経緯はわかりませんが、精子や卵子は教えても、性交は原則教えられなくなりました。小学5年の理科では『人の受精に至る過程は取り扱わない』、中学1年の保健体育では、妊娠・出産ができるよう体が成熟することは学びますが、妊娠の経過は扱わないとされています」
「規定ができた当初はそれほど制約を感じませんでしたが、やはり七生養護学校事件を機に統制が厳しくなった。4年前にも東京の区立中学で『性交』『避妊』などの言葉を授業で使ったとして、『不適切』と都議が批判、都教委が指導するということが起こりました。でも区教委は『不適切とは思わない』と反論した。少し風向きが変わってきたなと感じます」
「このところ、PTAからの講演依頼が増えてきました。家庭向けの性教育本なども売れていますが、特に保護者や若い先生の間に性教育が必要だという意識が広がっていると感じます。ただ、はどめ規定は、学校の性教育の大きな足かせであることは間違いない。この規定がなければ堂々と話ができ、子どもの理解も進みます」

――昨年、文部科学省などは「生命(いのち)の安全教育」の教材を作りました。
「性暴力や性被害を予防する教育です。性暴力が社会問題化したことも背景にあるでしょう。一歩前進です。しかし、『プライベートゾーンは他人に見せない』『相手が嫌と言うことはしない』など、禁止・抑制のオンパレード。性について基本的なことを教えていないのに、安全について教え行動制限している。ちぐはぐです」
「文科省は『寝た子を起こすな』論は捨てて、時代や子どもたちの実情にあった教育をすべきです。実態からすれば寝ていないですし、寝ている子には、年齢に合わせた形で科学的な事実を教えてやさしく起こしてほしい。SNSやアダルトビデオで暴力的に起こされるのは危険です」

――そもそも、性教育はなぜ必要なのでしょうか。
「健康、パートナーとの関係、出産――。性に関することは、その人の人生そのものです。性教育は、子どもに正しい情報を伝え、自分で選んで行動するためのもの。子どもたちには『自分の幸せと相手の幸せも考えて。来年の自分に感謝されるような今日を選んでほしい』と伝えています」
「包括的性教育にゴールはありません。自分で選び、決めるという自己決定をしていくための学びで、簡単ではない。だから、失敗しないよう備えることも重要ですが、それよりも自己決定を支えることが大切です。性教育は、子どもが自分の人生や将来のことを考える足がかりなのです」

支店の「本部長の接待マニュアル」

日経新聞私の履歴書、6月は矢野龍・住友林業最高顧問です。21日の「住宅本部長 抜き打ちで展示場を視察」から。

・・・僕が専務時代の1998年、住宅の業界誌に販売が低迷を続ける住友林業の体たらくを手ひどく批判されたことがあった。僕は担当外だったがこれを読んで怒りに体が震えるようであった。業界の「負け犬」呼ばわりなのだ。
僕は業界誌を3月の取締役会に持っていって「こんなことを書かれて悔しくないんですか。低迷の理由として1番目に、リーダーシップ不足と書いてある。まずは我々役員が猛反省し、早急に立て直しの対策をたて、実行に移すべきです」と訴えた。
すると5月1日付で住宅本部長の辞令が出た。なら君がやれとなったのだ。

辞令当日は早速、横浜の住宅展示場に行き、現場を激励した。しばらくして仙台に行ったときのことだ。新幹線から降りると現地の幹部以下がずらりと並んでホームで待っていた。それで言うには、今夜は宴席の用意があり、翌朝は朝礼の後、市内観光と展示場の視察をして、お土産に牛タンをもたせるという。
なんでそんなことをするのかと聞くと、全国の支店に本部長の接待マニュアルがあるそうだった。お客様の営業に費やすべきエネルギーを、社内のご機嫌とりに使って何になるのか。地酒、カラオケ、形だけの朝礼や視察、お土産など、即刻やめてもらった。

それ以降は予告していくのをやめ、抜き打ちでいきなり展示場に行くことにした。僕は本部長を務めた5月からの11カ月間、全国300カ所あまりの展示場をくまなく回った。僕はこの間、結果的に1日も休まなかった。神は現場に宿るというのが僕の考えだ。現場の話をじっくり聞き、ここを直してほしいという要望には即座に対応して、会社の仕組みに反映させた・・・

「ちゃんと勉強しないとこういう鉄工所で働かなあかんようになりますよ」2

先日書いた「ちゃんと勉強しないとこういう鉄工所で働かなあかんようになりますよ」に、読者から反応がありました。
「『ちゃんと勉強しないとこういう鉄工所で』の記事を読んで驚きました。高岡の小さな鋳物工場から急成長した錫製品メーカー「能作」社長の能作克治氏からまったく同じ話を聞いたことがあったからです。
能作氏も、工場案内をしたときにある母親が子どもに言った「「よく見なさい。ちゃんと勉強しないと、あのおじさんみたいになるわよ」という言葉が成長の契機になったと言っておられます。」

これは、ウエッブ「ダイアモンド」の2019年9月12日の記事「カンブリア宮殿に出演!「能作」社長が初告白!」です。
・・・そんなある日、めずらしく「工場見学をしたい」という電話があった。小学校高学年の息子とその母親だった。工場を案内すると、その母親は、信じられないひと言を放った。
「よく見なさい。ちゃんと勉強しないと、あのおじさんみたいになるわよ」
その瞬間、能作は凍りついた。全身から悔しさがこみ上げてきた。同時に、「鋳物職人の地位を絶対に取り戻す」と誓った。そこからの能作はすごかった・・・

日本社会の、汗を流すこと(工場労働や農業など)への忌避、事務職への憧れという通念がこの背景にあるようです。
経済成長期に、農村を離れ勤め人になるという大移動が起こりました。そしてさらに、工場などで働くブルーワーカーより、事務室で働くホワイトカラーへのあこがれが強くなりました。現在でも、工場労働や農業、介護職などは人手不足ですが、事務職は求職者がたくさんいます。給料などの差もありますが、それだけでなく通念が影響していると思われます。
とはいえ、私も事務職を選びました。

朝日新聞、大月記者の大活躍

最近、朝日新聞紙面に、大月規義記者の記事が立て続けに、しかも大きく載っています。

6月27日の朝刊には、記者解説「原発事故、被害者賠償は 早期の救済へ国の指針見直し必須」で、夕刊には「時の止まった帰還困難区域、「帰りたい」へ変わった心」といずれも大きな記事でした。24日にはインタビュー「山本竜也さん 気象庁職員 核のごみ処分場、反対の訳は」、20日は「「国策」の責任 原発訴訟:下 負担は国民、議論なく 賠償、電気代に上乗せ」。ここには私も登場しました。

大月記者は、東日本大震災の発災以来、現地と東京とで復興の取材を続けています。中央紙の記者で引き続き大震災を追いかけているのは、大月さんだけになったのではないでしょうか。当時を知っている強みが、記事に表れています。現在は、編集委員兼南相馬支局長です。現地からの発信を続けています。