連載「公共を創る」118回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第118回「国民の政治参加と新自由主義的改革の実像」が、発行されました。

国民の政治に関する意識には、政府への評価のほかに、政治参加もあります。独裁国家では、国民は政府を評価し批判していてもすみますが、民主主義において、政治は国民が参加してつくるものです。しかし、本稿で何度か指摘したように、日本では参加の意欲と行動が少ないようです。
政治は重要だと考えつつ、関心は低く、さらに参加意欲は極端に低い。この背景には、政府を「私たち」がつくったものと考えずに、与えられた他者「お上」と考える意識があるのではないでしょうか。その一つが税金への意識です。誰だって税負担は低い方がうれしいです。しかし行政サービスには予算が必要で、大きなサービスにはそれだけの負担が必要です。日本では多くの政党が国民に対して増税しないことを主張し、減税や税金の廃止を訴える政党もあります。ところが他の先進国には、与野党が増税を主張して政権獲得を目指し、実際にそのようになっている国もあるのです。

20世紀の第4四半期以降、先進国では経済と社会の行き詰まりから、小さな政府を目指した改革(新自由主義的改革)を進めました。日本でも公的業務の民営化や民間委託、民間開放を進めるとともに、歳出削減や公務員削減を行いました。正規公務員を減らし、非正規公務員に置き換えたこともその一つです。このような予算や職員の削減努力はなお続けられています。小さな政府を目指すことは良いですが、それが長期間続き、またそれ自体が目的になり、いろいろなひずみが出ているように思われます。
一つは、必要なところにお金と人が回っていないことです。高齢者への社会保障支出は高いのですが、若者や子育てへの支出は先進国で最低水準です。学校の教員が長時間残業を強いられていることも改善されていません。
同じ産出量なら投入量は小さい方が良く、予算や公務員は少ない方が良いでしょう。ところが政府の業務は全体で増えこそすれ、減っていません。各種の建設事業などで予算額は減ったものもありますが、業務の種類と数は減っていないのです。

企業ならもうからない業務はやめるのですが、行政は法律に基づき業務を行っているので、簡単に廃止できません。法律の数は増えています。政治家と国民は総論において小さい政府を要求しますが、各論において「この法律を廃止し、業務をやめよ」とは主張しません。各法律と予算には必ず関係者がいて、廃止や縮小に反対します。
予算総額と職員総数を増やさないシーリング制と、新しいことをするためには何かを削減しなければならないスクラップ・アンド・ビルド原則は、必要性の少ない業務を縮小し、他の業務に振り分ける効果的な方法です。官僚は、与えられた資源(予算と職員)の中でやりくりします。しかし、行わなければならない業務が減らない中でこの原則が続くと、どこかにしわ寄せがきます。残業を増やすか、何かに「手を抜く」しかありません。