監視社会と見守り社会

11月2日の日経新聞私見卓見、森健・野村総合研究所未来創発センター上席研究員の「監視を見守りに転じるには」から。

・・・デジタル技術は監視社会を生み出しているという議論がある。町中に設置された監視カメラや、スマートフォンなどのデジタル機器を通じた、国や民間企業による市民の移動履歴やウェブ閲覧履歴の把握。そして、その情報を利用した思想・行動のコントロールだ。
しかし、デジタル技術を使って似たようなことが行われていても、それが「見守り」になるケースもある。たとえばセコムなど民間企業が提供する見守りサービスは、子供や高齢者の所在地の把握を通じて安心を提供する。また公共サービスのデジタル化が世界最高水準であるデンマークでは、国民の満足度は極めて高い。どちらのケースも企業や国家がユーザーの膨大な個人データを把握しているにもかかわらず、である。

この違いを生み出す要因は何か。まずセコムの例のようにユーザーが自らお金を出してサービスを受ける場合は見守りになる。我々は監視対象ではなく顧客だからだ。しかしこの解決策では、お金のある人だけが「見守り社会」を享受できることになってしまう。
そうではなく、市民全体が「見守り社会」に属するためのヒントはデンマークにある。デンマークは国民の「一般的信頼」、つまり他者一般を信頼する度合いが高い。データ活用でいえば、自分の個人データは国や企業によって悪用されないと人々が信頼していると言い換えてもよい・・・