日経新聞夕刊コラム番外編1

日経新聞夕刊コラム「あすへの話題」は、6か月の連載予定のうち、4か月が過ぎました。既に17本が掲載されました。早いものですねえ。
5月3日は祝日なので、夕刊はお休みです。私のコラムもお休みです。で、コラムの執筆に関した話を書きます。

朝日新聞の名物コラム「天声人語」の執筆者の一人は、有田哲文記者です。このホームページでも、紹介しました。
天声人語は、603文字(改行なし)です。私が書いている「あすへの話題」は、改行ありの684字です。天声人語の方が短いのですね。天声人語は、もっと長いと思っていました。それだけ、内容が豊富であり、詰まっているということでしょう。
しかも、有田記者は、書きためずに毎日の勝負とのこと。すごいです。いえ、天声人語と勝負しようと思っているわけではありません(苦笑)。

このコラムを書いていて、思いました。
次のような要素のいずれかを入れることができたら、と考えつつ書いています。
・へえ=読者が知らないこと。
・なるほど=読者に共感を持ってもらえること。
・クスッ=少し笑える話。
そして、岡本全勝ならではの独自性も、必要です。とはいえ、行政の話は「固くて」、夕刊コラムには難しいです。
・ウルウル=涙を誘う話は、そんなにはありませんし、
・季節の話題は、私には期待されていないでしょう。

話の運びとしては、起承転結、序破急も重要ですが、最後の締め(オチ)をどうするか。それが重要です。テーマ(主題)選びとともに、締めに悩んでいます。
これまでの17本をお読みになって、どう感じられたでしょうか。
残りは8本です。乞うご期待。

慶應大学、公共政策論第4回目

公共政策論も、第4回目の授業です。46人の学生が出席しました。皆さん熱心です。
東日本大震災のスライドは、発災直後から復旧までを見てもらったので、レジュメに沿って、何が課題だったか、政府はそして私は何をしたかを説明しました。
すべてを流された町で、町を復興するためには、何が必要が。それを考えることで、町とそこでの暮らしが、どのような要素でできているかが、わかります。
インフラだけでは町は復旧せず、サービス提供とともに働く場がないと暮らしていけません。さらには、つながりがないと、人は孤立します。
その3つを、どのようにして再建するか。行政がお金でできることと、できないことがあります。それを考えてもらいました。

こちらの方も、早々とレポートを提出した学生が数人いました。
レポートの内容についても、助言しました。
授業を受けた後、記述式の答案を書く際やレポートを提出する際に、2つの水準があります。一つは、教授に教わった内容を書きます。もう一つは、教授の授業を理解した上で、独自に考えたことを付け加えます。
私が学生の時、これで満点だと思う回答を書いたのに、良い点をもらえなかったことがあります。その際に先生がおっしゃったのが、このことでした。
「私の授業を受けて、「右受け取り候」といった受領証のような答案では、及第点しかあげられない。授業を踏まえて、自ら考えたことを書け」とです。
大学入試までは、教えられたことを正しく書けば満点です。しかし、大学になれば、教えてもらったことの上に、自分で考えたことを加えなければなりません。

授業で紹介した、日本が「一億総中流」ではなくなっていることを明らかにしたのは、佐藤俊樹著『不平等社会日本―さよなら総中流』(2000年、中公新書)です。

慶應大学、地方自治論Ⅰ第4回目

今日は、慶應大学で地方自治論Ⅰ、第4回目の授業でした。連休の谷間でしたが、171人もの学生が出席しました。
前回から、地方自治の意義を説明しています。統治の観点から、権力の分割について、中央政府と地方自治体との垂直的分権と、それぞれの中で水平的分権があることを、理解してもらいました。
また、ドイツの自治制度を紹介して、議会と首長との関係にはいくつもの型があること、また変えることができることを理解してもらいました。
制度とは人間が作るものであって、現在の制度が唯一のものでないことを知ってもらうためです。

2週間前に課した小レポートも、連休明けを待たずに提出した学生も。そうですね、早く片付けた方が安心して、連休後半を過ごすことができますね。
授業中に紹介したスウェーデンの教科書は、『あなた自身の社会』(1997年、新評論)です。図書館などで読んでください。

会読の持つ社会的、政治的意義

江戸時代の授業方法」の続きです。
会読が、政治問題討論の場と、変わっていくのです。「図録」p17。

会読では参加者の身分にとらわれず、平等な関係に立ちます。従来、政治には関与できなかった低い身分の者でも、発言が可能になるのです。そして、主義主張が共通する者たちは、(政治)集団を形成します。学校を経由して藩の要職に就くと、派閥を形成します。
公家の学校だった学習院で学んだ公家たちも、政治化し、幕末の政局に関与します。さらには、尊攘過激派も出入りします。

会読が、参加者が自発的に集会をするという結社の性格を持ち、幕末の言論の場を作り、同士を育てたのです。それは、藩を超え、広いつながりを作ります。
幕末維新の言論空間、人材登用の素地をつくったのです。政治が、制度や為政者によってのみつくられるのではないことが、わかります。

法律を守る

「憲法9条を守れ」と主張があります。ところで、この「9条を守れ」と「法律を守れ」とは、内容が違う場合がありますよね。

「法律を守れ」は、例えば「未成年者は飲酒してはいけない」とか、「自動車は制限速度を守れ」という意味であって、法律の規定を遵守しろです。
他方、「9条を守れ」は、
A「9条を履行して、戦力を持つな」という意味のほか、
B「9条を改正するな」という意味で主張する人がいます。

憲法第99条に、次のような規定があります。
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

これについて、衆議院議員からの質問主意書に対する、内閣の答弁書があります(H18.10.10内閣衆質165-27対辻元清美議員答弁書)。
問九 日本国憲法第九九条の憲法尊重擁護義務により、安倍首相は日本国憲法を尊重し擁護する義務があると考えるが、安倍首相の見解はどうか。
答弁 政府としては、憲法第九十九条は、日本国憲法が最高法規であることにかんがみ、国務大臣その他の公務員は、憲法の規定を遵守するとともに、その完全な実施に努力しなければならない趣旨を定めたものであって、憲法の定める改正手続による憲法改正について検討し、あるいは主張することを禁止する趣旨のものではないと考えている。

尊重するとか擁護するということが「改正するな」という意味なら、第96条の国会が憲法改正の発議をする定めが意味をもたなくなります。
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

もちろん、9条を改正しようとする立場と、改正しないでおこうという立場があります。