3月17日、奈良テレビに出演します

3月17日21時から、奈良テレビに出ます。「ならフライデー9」。来週の予告に出ています。
毎年、この時期に復興を取り上げているそうです。今年は、奈良県出身者が東日本大震災復興に取り組んでいるということで、私を取り上げるとのこと。先日は福島の被災地視察に、今日は仙台での講演に、テレビカメラが同行しました。
どのような番組になるのでしょうね。東京では、見ることができないのですが。

大学生への講演

今日は仙台まで、大震災からの復興について、講演に行ってきました。全国学生連携機構主催による、大学生の勉強会です。北海道から関西まで幅広い学生が集まって、話を聞いてくれました。彼らは、6年前は中学生です。スライドを使って、被災直後とそれからの復興、そしてインフラだけではまちの暮らしが戻らないことを説明してきました。
会場は仙台駅隣の高層ビルで、控え室の窓からは、仙台平野の海沿いが一望できました。6年前は、がれきが散らばっていたこと、特に田んぼに自動車がたくさん転がっていたことを思い出しました。

3.11、あれから6年

2011年3月11日から、6年が経ちました。早いようにも思いますし、長かったとも思えます。避難者にとっては、とても長い6年だったでしょう。復興に携わっている、特に働きづめだった市町村長や職員にとっては、あっという間の6だったでしょう。私もそうです。

この1週間、マスコミが特集を組んでくれています。この時期には、もはやニュースになるような政策はなく、現場の復興状況の報告と、政策の検証が中心になっています。断片的なニュースでなく、大きく紙面を取った進捗状況や課題の報告は、全体像を把握しやすく、ありがたいです。
このホームページでも取り上げたように、被災市町村長はかなり復興が進んでいると考え、復興のめどがつきつつあります。
岩手、宮城の津波被災地域では、住宅再建にめどがつきました。福島の原発被災地では、帰還可能な地域は避難指示が解除されます。帰還困難区域では、復興拠点を作ることとしました。福島でも、新しい段階に入ります。

当初は確たる当てもなく、10年を復興期間とし、その半分を集中復興期間としました。各地の具体的な計画はまだできていなかったのですが、区切りは必要ですから。結果として、津波被災地域は、この期間設定は適切でした。福島は、当初は、いつになったら帰ることができるか、皆目見当がつきませんでした。ここは、5年が区切りでなく、6年が一つの区切りになりました。

しばしば「6年前は、6年後をどう想像していましたか」と質問を受けます。私の感想は、「6年でここまで復興するとは、想像もできなかった。津波のがれきを見て、いつがれきが片付くのだろうと、計画も立たなかった。福島では、いつになったら人が住めるようになるのだろう。何十年かかるのだろうと思った」です。それを思い返すと、6年でよくここまで復興したものです。多分、多くの市町村長は同じ思いだと思います。
しかし、まだまだ道半ば、福島は緒に就いたばかりです。引き続き、力を入れていきます。

自治体間の職員応援、制度化を

3月10日の朝日新聞社説は「被災地支援 全自治体で相互協定を」でした。
・・・東日本大震災の復旧・復興の現場で、全国の自治体職員が活躍している。この6年で延べ9万人以上が駆けつけた。
阪神大震災がボランティアの活動領域を広げたように、東日本大震災は自治体職員の出番を増やした。津波で流された市街地の再建などで、行政の知識と経験が求められたからだ。
その結果、自治体同士の支援連携が劇的に拡大、深化した。
関西広域連合のカウンターパート方式が一例だ。大阪府と和歌山県が岩手県を、兵庫、鳥取、徳島県が宮城県を、京都府と滋賀県が福島県を担当した。支援内容の重複を避けつつ、継続的に対応してきている・・・
・・・全国1700余のすべての自治体に、災害時に援助しあう相互支援協定を網の目のように張り巡らそう。すでに一部の自治体同士で締結されているが、それを日本中に広げるのだ。
まずは、都道府県や政令指定市、人口20万以上の中核市から始めてはどうか・・・全国知事会や全国市長会などが、マッチングを主導できるのではないか。むろん政府も資金面を含めて協力すべきだ。
自治体が互いに連携を深め、支援態勢を準備しあう仕組みを、全国規模でつくる。
そんな「人間による国土強靱化」こそが、東日本大震災から学ぶべき対策だと考える・・・

自治体間の職員応援も、東日本大震災で初めて本格的に取り組んだことです。原文をお読みください。