日本のリベラル勢力、その限界

朝日新聞7月16日オピニオン欄「瀬戸際のリベラル」、浅羽通明さんの発言から。
・・・思えば明治の昔から、日本のリベラル勢力は、有権者と向き合った等身大のところからビジョンや政策を立ち上がらせる姿勢に乏しい。ボトムアップが少なすぎる。
リベラルの提言は、二大政党制とか「デモのある社会」とか、いつも外国にあるお手本を持ってきて振りかざす。トップダウンなのです。要は上から目線の秀才たちが左翼やリベラルとなり、欧米を追い風に自らを支えてきたわけ。
終戦後、占領軍による民主化と日本国憲法という予想外に強い追い風を得た彼らは、ずっとその残光にすがってサバイバルしてきました。与党を攻撃するにも、ただただ「違憲!」という葵の御紋を突きつけるワンパターンへはまっていった。楽ですが、思考停止です。憲法に頼ってばかりだと、経済や安全保障の現実的政策を生みだす能力が劣化してしまう・・・