国会というところ7

国会で行われることその2
変な国会質疑】
衆議院予算委員会での質疑が、続いています。全大臣出席の「基本的質疑」が3日間あった後、今週からは財務大臣と出席要求大臣だけ(総理は出席せず)の「一般質疑」に移っています。また、今日は政治資金等に関する「集中審議」が行われ、総理・総務大臣と要求大臣(と財務大臣)出席で行われました。
NHKテレビでは、通常、基本的質疑(の始め部分・全党一巡)が中継されます。今日の集中審議にも、テレビが入りました。霞が関の各官庁には国会テレビが入っていて、NHKが中継しない本会議や委員会の様子も、見ることができます。
これを見ていると、日本の政治が、まだ20世紀・冷戦期の思考に、捕まえられていると思います。
「予算委員会」という看板で、予算の議論ではなく、政治一般を議論しています。これは、今に始まったことではありません。かつても、予算委員会の花形は、外交防衛などのテーマでした。谷垣財務大臣が答弁する機会は少なく、麻生総務大臣の方が多いです。特に、今日のような「政治資金等に関する集中質疑」だと、財務大臣は答弁することがありません。
予算委員会という名前は、「政治が予算である」という思考を引きずっていると思います。例えば名前を「国政一般委員会」とし、予算は「財務金融委員会」で議論すればいいと思います。
もう一つは、政府に対する質疑という形です。ここ数日の予算委員会での「政治と金」の議論は、与野党が互いに相手方の政治資金について問題点を指摘しています。しかし、委員会は議員が政府に聞くという形です。問題を指摘された相手党は、答えることができません。変でしょ。また、政府も法律の解釈や公表された事項は答えることができますが、それ以上のことは答弁できません。
日本の国会は、議員が議論する場ではなく、与野党が議論を戦わせる場でもないのです。政府に意見を聞くという今のかたちは、明治憲法下からの構図を引きずっているのでしょう。
与党の議員が政府に質問するのも、変ですよね。自分たちの代表に質問しているのですから。それは、党内でやっていただければいいことだと思います。
こういう、議会政治のありかたを議論をする場も、今の日本ではありません。(2005年2月8日)
【国会論戦、百年之計】
国会でのやりとりの中にも、「さすが」と思うのもあります。
2月7日予算委員会で、大畠章宏議員が何人かの大臣に(事前通告なしで)次のような質問をされました。
「『一年限りの居住ならば穀物を植えるがよい、十年住むと決まったら木を植えるがよい、百年を考えるなら徳を植えるがよい』という司馬遷の文言がある。今、どういう気持ちで大臣をされているのか」
麻生大臣の答は、次の通り。
「国全体の形が中央集権から地域主権に移っていくという大きな時代の中にあって、三位一体とか町村合併を進めておりますところからいきますと、司馬遷じゃなくて司馬遼太郎という人を引かせていただければ、「この国の形」というものを考えて(仕事をしています)。
日本を取り巻いている環境が、脱近代工業化社会になり、冷戦後になり、インフレがデフレになり、少子高齢化するなど、今まで過去にないものになってきた現状に合わせて、この国のシステム、構造というものをどうやって変えていくかというのが一番の問題。
百年というのは文部省に任せるとしても、私としては、そこの中間ぐらいの『この国の形をどう考えるか』と思っております」。
司馬遷を司馬遼太郎で切り返すところが、いいですね。もちろん、今取り組んでいる仕事を半世紀の視野の中で考えていただいていることも。こういう答弁をしていただくと、関係者も元気が出ますね。
引用された言葉の原典は、春秋初期の斉の大宰相・管仲の作とされる「管子」です。肝冷斎の教示によれば、次のとおり。
「一年之計莫如樹穀 十年之計莫如樹木 終身之計莫如樹人」
「一年の計は穀を樹(う)えるにしくなく、十年の計は木を樹えるにしくなく、終身の計は人を樹えるにしくなし。一たび樹えて一たび獲るものは穀なり、一たび樹えて十たび獲るものは木なり、一たび樹えて百たび獲るものは人なり。」(2月19日)
と書いたら、棚瀬画伯(このHPの表紙「笛吹中年」の作者)から、次のようなメールが来ました。
「平成15年に、富山県庁の正面に「百年之計 莫如樹人」の碑が建ちました。中沖豊知事(当時)が、これまでの県勢発展の基本がひとづくりにあったことを認識し、今後とも県民が力を合わせ、ひとづくりに邁進していくことを誓って「ひとづくり記念碑」を建立しました」。写真も載ってます。ご覧ください。(2月20日)
先日書いた「百年の計」は、司馬遷の「史記」では、「貨殖列伝」に載っています。「管あん列伝」には出てこなくて・・。肝冷斎が教えてくれました。
「居之、一歳、種之以穀、十歳、樹之以木、百歳、来之以徳」(これに居るには、一歳ならばこれに種(うえ)るに穀を以てし、十歳ならばこれに樹うるに木を以てし、百歳ならばこれを来たすに徳をもってす)
「管子」とは、少し表現が違っています。(2月22日)
(国会閉会中審査)
今日は、衆議院災害対策特別委員会で質疑があり、2回、答弁の機会がありました。国会は閉会中ですが、閉会中審査という制度があります。災害は、国会閉会中でも起きるので、このような審査が活用されます。今日は、主に8月の豪雨災害が、議論の対象でした。(2008年9月11日)