覇権国家イギリスを作った仕組み、4

覇権国家イギリスを作った仕組み、3」から続く。

4 王様は弱い
社会の問題を解決したのは議会であると、紹介しました。私たち日本人にとって、イギリスと言えば王室の国です。しかし、イギリスの王と女王は、目立つ存在ですが政治的には弱い存在です。君臨すれども統治せず。
まず、1649年にチャールズ1世が処刑されます。法廷で裁かれ、公開処刑です。1688年には名誉革命で、現国王を追放し、オランダから新しい国王を迎えます。議会の方針に従わない国王は、取り替えられるのです。国王は、権利の章典を制定し、自らの権限を制約させられます。
1701年には、名誉革命で作った国制を守るために、王位継承法を作っておきます。血縁関係の濃いカトリック系の王族より、血は薄くともプロテスタント系の王族を優先する規定です。それに従って、1714年には、ジョージ1世が即位します。ドイツ人であり、英語を話せない国王です。
何度か、カトリック系の王族が、王位奪還を目指して戦いを挑みます。スコットランドやフランスの応援を得てです。しかし、そのたびに王と議会の前に負けます。
議会が、国政の中心にあります。バジョットは、王と貴族院を尊厳的部分(ディグニファイド・パーツ)と、庶民院と内閣を機能的部分(エフィシェント・パーツ)と表現しました。
この項続く