先日の「20年後の新聞」(2月20日の記事)について、ある読者から、メールをもらいました。新聞が変わっているであろうことについては、同意しつつも、次のような意見でした。
・・20年ぐらい先を考えるのはおもしろいです。そしてたいてい暗澹たる気分になります。私が、まだ生きているかも知れないからでしょうか。
記者クラブ制度や戸別配達などは、変わっているでしょう。しかし、1990年から2010年の20年間を思い返すと、換骨奪胎しながらまだ残っているかもしれません。
日本語市場は、残っていますよ。この40年で壊れなかったですからね。規模拡大しているかもしれないとさえ漠然と思います・・
月別アーカイブ: 2013年2月
若手職員卒業試験
昨日金曜日、若手職員が資料を持って説明に来ました。あるテーマについて想定問答集を作るので、その項目を整理した案です。自信満々の様子です。確かに彼の自信通りに、内容は良くできていました。しかし私は、厳しく次のように指導しました。
「1 右上に、作成した日付が入っていない。
2 下に、ページ番号が打たれていない。
まずここで、失格。×。
次に、
3 表題が内容を表していない。よって、表題を見ても、これが何の資料かわからない。例えば、次のようにしてはどうか・・・。
4 さらに、これは別添資料であって、関係者に示す資料になっていない。この紙を関係者に配って、答弁作成の依頼をするのだから、この紙の前に、何の目的で、いつまでに、どのような体裁で作るかを書いた「趣旨紙」が必要。
よって、××」と。
彼は「ううう・・」と唸り、「岡本学校を卒業するために、卒業試験と思って作ったのですが」と。
私は、「これでは、落第。よって、岡本組組員に残留」と、申し渡しました。
内容は良くできた資料なので、月曜日には、100点満点の資料が上がってくるでしょう。
被災地の企業支援
復興庁は、復興に関して民の協力を期待しています。一つはボランティアやNPOであり、もう一つは企業です。
物資や金銭の支援でなく、企業が企業活動をすることが被災地のサービスや雇用を生み、地域の活性化になります。企業誘致の補助金や減税といった手法の他に、被災地の企業と外の大企業とを結び、ノウハウなどを伝授してもらう試みもしています。マッチングと呼ばれています。
先日も、気仙沼市でマッチングの場を開催しました。
これは、行政手法としては、お金での誘導でなく、情報による誘導です。復興の現場では、いろいろな先進行政を試すことができます。官僚が知恵を出し挑戦できる場です。若手職員には、力を発揮できる場だと思います。
もちろん、民間からの「こんな試みはどうですか」といった提案も、大歓迎です。行政が直接実施できない事業でも、企業やNPOに情報や資金を支援することで、実施できることもあります。
ゆっくりさせてくれない職員たちと黒幕
今日は金曜日。1週間が終わりました。今週も、忙しかったです。同僚と「土日に休まなかったので、今週は長いね」と会話しました。
ところで、疲れる原因を、もう一つ見つけました。私は、毎日、キョーコさんに作ってもらった弁当を、持って行っています。お昼には、新聞を広げて、弁当くらいゆっくり食べようとするのですが、それを妨害する勢力がいます。
どうやら「岡本統括官に弁当を食べさせない友の会」があるようです。その時間帯を狙って、電話をかけてくる某記者と某副知事。「お食事中に、すみません」と言って入ってきて、全然すまなさそうでない職員。「ちょっといいですか。耳だけ貸してください」と入ってきて、資料を広げる某参事官・・。会員は、たくさんいるようです。そのたびに、ご飯を飲み込んで、応対します。ゆっくりどころか、消化に良くないです。
妨害する会の会長は、Y秘書のようです。どうやら、私にお茶を出した後、こちらから電話をかけて「今、岡本が部屋にいるので、電話をつなぎます」とか、「今なら、統括官が部屋にいますよ」と、「そそのかして」いるようです。
なぜ、この時間帯を狙って電話してくるか、相談に来るか、理由がわかりました。というか、気づくのが遅かったです(苦笑)。
先進民主国家体制の危機、3
・・・欧米民主諸国の危険は、それが死滅することではなく、硬直化していくことだ。予算圧力、政治的膠着、そして人口動態が作り出す圧力という、気の萎えるほどの大きな課題が指し示す未来は、崩壊ではなく、むしろ低成長と停滞が続くことだ。
泥縄式に危機をやり過ごせば、相対的な豊かさはかろうじて維持できるかもしれない。だが、ゆっくりと着実に先進国は世界の周辺へと追いやられていくことになるだろう・・
「改革する力を持たない先進国の産業民主主義のモデルがかつて存在した」。世界経済を支配していた時代を経て、先進国が成長率がわずか0.8%という時代を今後20年にわたって経験すれば、そうした解釈が出てくるだろう・・
アメリカ人、ヨーロッパ人が力を結集できなければ、彼らの未来がどのようなものになるかを知るのは簡単だ。日本に目を向ければ、容易に想像がつく・・・
最後の文章は、厳しい指摘です。外国人による日本評をありがたく承る必要はありませんが、オピニオンリーダーがこのように見ていること、そして影響力の大きい雑誌に載っていることを認識する必要はあります。
ところで、日本でもてはやされる「外国人による日本論」は、高く評価して自尊心をくすぐるものと、低い評価で日本はダメだという2種類に分類できます。そして、いずれもが、日本人(読者)が自ら考えていることと同じ論調のものをありがたがる=利用するのだと、考えています。すなわち、高い評価の場合はそれで自己満足し、低い評価の場合は「そうだよな」と言いつつ、内心では「いや日本は良い国なんだ」と自負しています。いずれにしろ、その「忠告」を受け入れ改革するつもりはありません。一種の「消費財」です。