努力と付加価値の違い

3月16日の朝日新聞「沼上幹の組織の読み筋」から。
半導体のDRAM製造で世界第3位のエルピーダメモリが、経営破綻したことを取り上げて。
・・つい1年前に1個2ドルだったパソコン用2ギガビットのDRAMが、昨年11月には70~80セントにまで低下した。円にすると60円くらいという感覚だろうか。
「最先端の技術を使っているのに、おにぎり半分の値段にしかならない」。エルピーダの坂本幸雄社長もこう嘆く。国内の最優秀層の人材を投入し、しかもその優秀な技術者たちが人一倍精力的に日夜知恵を絞って「付加価値」を生んできたつもりなのに、その血と汗と涙の行き着いた先が「おにぎり半分」なのである。このやるせなさを経験すると、「ハイテクになるほどもうからないのだ」とぼやきたくもなる。
しかし、当たり前のことだが、もうかるかどうかは、製品に盛り込まれた技術が高度か否かで決まるのではない。自社以外に、同等品を提供できる会社が何社あるかで決まっている。たとえ盛り込まれている技術が高度であっても、同じくらい高度な知識を製品に盛り込める会社が世界中に何社も存在するなら、残念ながら利益は手に入らない。
・・「付加価値」は、自分が努力した量に基づいて判断するものではなく、買い手の立場に立って自分がどれほど取り換えのきかない存在なのか、自分がいなくなったらどれほど周りが困るか、という観点から考えなければならない・・
冷酷ですが、その通りですね。行政組織も、いえ、私たちサラリーマン個人も、同じです。