科学技術と政治決定

日経新聞経済教室は、5月30日から「科学技術の役割ー原発事故に学ぶ」を連載しています。30日は、失敗学の畑村洋太郎先生でした。
・・東日本大震災で津波被害や福島第1原発事故を拡大させた背景として共通するのは、自然や原子力という本来制御しきれない対象物を「完全に制御できる」と人間が考えたことではないか。人間には、見たくない物は見ない、考えたくないことは考えない、都合の悪い事柄はなかったことにするという習性がある。
・・宮古市田老地区では、新しい防潮堤は津波で破壊されたが、昭和8年の大津波直後に設計された防潮堤は原形をとどめている。新しい堤防は湾口に対して直角に、真正面を向いて建設されている。だから津波の勢いをまともに受けて破壊された。これに対し、古い堤防は湾口に対して斜めを向いている。津波の圧力を真正面から受け止めるのではなく、山の方へ逃がす設計になっている。先人は、どれだけ巨大な防潮堤を建設したところで、津波を完全に押し返すことはできないと悟ったのだろう。水が入ってきたとしても、退避のための時間稼ぎができればいいという発想だ・・
・・かつて訪ねた時に、田老地区の古い防潮堤の水門を、手動で開閉していた。「なぜ手動なのか」と問うと、「電動では、電気が来なくなると閉められないでしょう」。案内人は答えた。福島第1原発ではほとんどの電源が失われたことで、原子炉を冷却できなくなり、過酷事故につながった。この水門の事例は、外部との関係が遮断されて電気が来なくなるような最悪の事態を想定することがいかに重要かを示している・・
・・「想定外」との見方について思うのは、人間はあらかじめ想定の及ぶ範囲を決めないと考えられず、範囲の確定でようやく考えられるということだ。しかし範囲を決める線引きの際に「欲・得・便利さ」が入り込む・・(要約してあります)。

5月31日は、松本紘京都大学総長でした。今回の大震災と原発事故が、科学への不信を生んだことに関して、次のように述べておられます。
・・筆者は、科学そのものに対する不信というより、科学情報が正確に伝わらない、言い換えれば、科学情報の活用に関する不信が今問題なのだという点を強調したい。
原発事故を例に取ろう。「想定外」という言葉が流行になった。だが科学的な知見として、マグニチュード9以上の地震が起こらないと科学者が言っていたわけではない。地震学者は、明らかにそうした巨大地震が過去にも起きたことを知っていた。反論があることを承知で言えば、「想定」したのは、政府であり事業者であり、科学的知見を基に確率や利益などを勘案し、社会的、経済的な観点から設定されたものが想定値であった。大本の科学の知識が間違っていたわけではない。
科学とは、何ができるか、なぜ起こるか、どうなっているのかを明らかにするためにある。一方、政治は、何をするかという意思を実現するのが役割であろう。What we can doをつかさどる科学と、What we will doを担う政治を混同してはいけない・・