日経新聞経済教室は、10日から13日まで4回にわたって、「ニッポンこの20年、長期停滞から何を学ぶか」を連載していました。4人の経済学者の分析は、それぞれにわかりやすく興味深いものです。私が特に関心を持ったことは、次のような内容です。
池尾和人教授(10日)は、日本の経済構造は未だキャッチアップ型であり、先進国型への転換が正念場であると述べておられます。
すなわち、日本の最も大きな内的変化は、日本経済が開発途上段階を最終的に脱却し、先進国化したということがある。その段階で、追いつき(キャッチアップ)段階に適合的なものから、先進国にふさわしいものに経済システムのあり方を見直す必要が生じていた。しかるに、日本的経営などの日本の経済システムが肯定的にとらえられ、慢心や増長を招くことになった。
また、90年代以降の外的な変化は、何よりも冷戦が終結し、市場経済規模が一挙に拡大したことである。近隣に産業化した国がほとんど存在しなかったのが、近隣に産業化した国が存在するようになった。しかし、産業構造の転換は遅れたままになった。
岡崎哲二教授(11日)は、アメリカと日本の差はIT普及による、そしてその汎用性と大きな革新性は、時間をかけてさまざまな関連システムの変更をともなって普及すると述べておられます。
すなわち、ITは、多くの産業部門における生産プロセスや技術革新(イノベーション)に影響を与える点で、歴史上の蒸気機関や電力と同様に、典型的な汎用技術である。汎用技術は、発明されてから、広く経済に普及し、実際に生産性向上に結びつくまでに長い時間差がある。それは、旧来の設備の廃棄というコストが必要なこと、工場の再設計などの関連するイノベーションが必要だからである。日本に、製糸業という近代的工業を移植するためには、機械を輸入するだけでなく、労働者の賃金体系を作る必要があった。日本の自動車産業がフォード・システムを移植するためには、移動式組み立てラインだけでなく、部品の互換性、工場の設計、賃金体系など文字通りの(幅広い・裾野の広い)「システム」が必要だった。
ITは、近代的工場組織や大量生産技術に匹敵するスケールの汎用技術であり、日本経済の持続的成長のために必須であるが、これまでの経験に照らせば、普及・利用の条件が形成される過程にある。
伊藤邦雄教授(12日)は、日本企業の競争力劣化は、1990年代に原因があると述べておられます。
すなわち、バブル崩壊で業績が悪化した際に、経営者は丼勘定を排し、利益責任を徹底させるために社内カンパニー制を導入した。この対策は適切だったが、深刻な副産物が残った。各部門が部分最適を目指すようになり社員の視野狭窄を生んだ。それが、部門間の連携を阻み、異質な知の融合や新たな知の組み替えを阻止し、事業や技術のイノベーションの芽をつんだ。日本企業の良さを否定した。
部分最適はそのままでは全体最適にならない。日本企業の経営スタイルは「事業部運営」が主流だった。それに対して「会社経営」は、事業部の利害を超えた全社最適を実現することだ。そのために、全体最適型経営をできる総合型人材を育成する必要がある。
それぞれ詳しくは原文をお読みください。これらは、経済や経営からの分析ですが、私の関心である行政・政治の世界にも通じるものが多いです。