匿名批評と匿名世論

14日の朝日新聞「異見新言」は、佐藤俊樹准教授の「言論の行方、匿名世論が動かす社会」でした。先生の意図とは少し外れますが、私の気になった部分を引用・要約します。
・・・書評を書くことは、大げさに言えば、一対一の真剣勝負。だから実名で書かれたものには実名で評する。こちらが実名ならば、書評にせよ、書評の批評にせよ、名前を匿(かく)して言われたことには応答しない。それが常識だと考えていたのだが、どうもそうではないらしい。
匿名で書くときは、後先を計算せず、気ままにのびのび書ける。だからこそ、そこに書かれるのは好き嫌いでしかない。それで十分な場合も多いが、例えば政策や社会の仕組みや評価の仕事には、自分も他人も等しく関わる。そこで何が良いか悪いかを言うときは、好き嫌いをこえて、自分にも他人にも等しく当てはまる客観的な根拠が必要である。自分を安全圏に置く匿名では、どうしてもそこが甘くなる・・・
言論から政治に目を移せば、わかりやすい。小泉政権以降、日本は「世論調査政治」になりつつある。政策や政治目標をマスコミ経由で打ち上げて、すぐ世論調査で反応を調べる。賛成が多ければOK、反対が多ければ軌道修正。従来、政策は客観的な根拠から、長い目で進めるべきだとされてきた。一方、賛成・反対の理由を掘り下げられない世論調査は、どうしてもその時々の好き嫌いになる。その二つが組み合わさっているのが今の政治だが、これ、言論での実名の書き手とネット世論と、まったく同じ構図である。ネット世論を気にする言論は、気持ち悪い。でも世論調査政治をポピュリズムだと切り捨てるのも、変な感じがする・・・