人は信念によって行動するのではなく、行動によって信念を生む

(人は信念によって行動するのではなく、行動によって信念を生む)
宇野重規先生の『民主主義のつくり方』その3。
次のような、プラグマティズムの考えも紹介されています。
人は人生においてしばしば、十分な根拠を持たずに選択をしなければならない。むしろ、真に重要な決断とは、明確な答がないからこそ重要なのかもしれない。
不十分な根拠しかないのに、判断を下さなければならないとしたら、人は自らの信念に依拠するしかない。というよりも、人は行動に駆り立てられて、はじめて自らの信じる理念を見いだすのだろう。
信念を共有しない人々の存在を許さないイデオロギー的対立をいかにして克服するか。62万人もの犠牲者を生んだアメリカ南北戦争を経験した哲学者がたどり着いたのが、このプラグマティズムです。
「答がわからない」ということが、世界観の大前提です。各人の理念を、形而上学的・神学的に正当化することは難しい。ただ、その理念を行動に移し、その結果を見て事後的に評価することだけが可能である(p181以下を要約しました) 。
納得します。人は初めから、統一された哲学や信念をもって、それに従って行動や決断をしているのではありません。日々の行動の積み重ねが、その人の信条体系をつくりあげるのでしょう。
今、あなたが100円持っているとして、それでお菓子を買うのか、街頭募金に寄付するのか、貯金するのか。休日の朝の1時間、寝ているのか、体操をするのか、庭の草取りをするのか。ちょっとした判断ですが、それが積み重なって、あなたの信条体系を作っています。
もちろん、その際には、両親、友人、先生や社会の教え、本を読んで、身につけることも多いです。でも、いくつかある選択肢の中から、一つを選ぶのは本人であり、その結果に責任を負うのも本人です。