カテゴリーアーカイブ:行政

公務員制度改革

2005年6月15日   岡本全勝
15日の朝日新聞で、辻陽明編集委員が「どうする縦割り行政」「公務員改革、経済界が仕切り直し提言」を解説しておられました。
公務員改革が、頓挫しています。「政府の改革が内容、手続きの両面で不評なのは、検討が変則的な形で始まったことが影響している」「事実上改革は棚上げされた。公務員制度改革の議論は、立て直しのめども立っていない」。
これに対し、経済界から、いくつも改革案が出ています。出井伸之経団連行革推進委員長と、西尾勝教授の意見が載っていました。
(問題は数より仕組み)
「骨太の方針2005」で、公務員総人件費削減が課題になっています。もちろん、財政再建のためにも、効率的な政府を実現するためにも、人件費削減は重要です。しかし、私は、量(単価と数)の問題より、質(仕組み)の問題の方が、大きな課題だと思っています(行革は、数を減らすことから、システムの改革に移っています。「省庁改革の現場から」p161)。
①部門間の「配転」がない
人数の問題も、単に一律に削減しても、良い結果は出ないでしょう。問題は、必要なところに増やしていない、不要となったところにたくさんいることです。社会の変化と仕事の見直しに、定数の見直しが追いついていないのです。
この問題は、地方自治体では、部門間配転でどんどん対応しています。霞が関ができていないのです(「新地方自治入門」p68,p290に少し書きました)。
②官僚のアウトカムの問題
公務員がよい成果を出していたら、数を減らそうとか単価を下げようという意見は、出てこないでしょう。国民の期待に応えていないから、官僚批判が続くのです。官僚は毎晩毎晩、遅くまで仕事をしています。しかしそれが、必ずしも国民の期待に応えていないのです。公共事業を続けることでは、国民は評価してくれません。
部分部分に特化し、業界の利益を優先し、全体像を作れない。事業間の優先順位の見直しができない。これが官僚制の、一番の欠点です(p290。提言・国家官僚養成行政の構造的課題)。
③改革の仕組みがない
官僚は、自らはこの見直しに、取り組めていません。そして、霞が関には、官僚制を考えるセクションがありません。専門家もいません(これが、今回の政府案とん挫の理由の一つです)。個々の官僚も、官僚組織全体でも、自己改革能力を欠いているのです。

官僚制

2005年5月20日   岡本全勝
19日の日本経済新聞が「再編5年目・診断霞が関」で農水省を取り上げていました。「農水省消費・安全局消費・安全政策課長に着任した山田友紀子は、ちょっとしたカルチャーショックを受けた。山田は、国連食糧農業機関の専門官などを務めた食品安全の研究者。国際的には食品安全行政は専門家が担うのが当然なのに、日本にはほとんどいないことが分かったのだ」
「専門性」も、現在の官僚制の問題点です。専門家というと技官(技術系公務員)を思い浮かべますが、それだけではありません。福祉の専門家、教育の専門家、金融の専門家が必要でしょう。しかし現在ではそれらの多くは、法学部か経済学部を卒業した人が、職場で鍛えられて「専門家」になります。もちろん、最先端・高度な技術は外部の専門家を活用することで、官僚はそれを理解できる知識があればいいとも言えます。
しかし、多くの分野で法学官僚が中心を占めていることは、疑問です。

公務員改革

2005年5月18日   岡本全勝
1日のこのページで、「指定管理者制度の公募は公務員の市場化テストである。職員が職場を失うことがある」と書きました。それに関連して、最近の公務員制度をめぐる話題から、いくつかを紹介します。
4月25日の朝日新聞他は、「鳥取県が2年連続で勤務成績が低かった職員のうち5人に自主退職を勧め、3人が退職した」と伝えていました。民間の人からは、「今までは何だったの」と疑問や質問が出るでしょう。かつて、授業を任せられない教員がたくさんいることが、ニュースになったことがあります。
24日の毎日新聞「発言席」では、松井孝治参議院議員が「官僚にも市場化テストを」を主張しておられました。19日には日本経済団体連合会が「さらなる行政改革の推進に向けて-国家公務員制度改革を中心に-」を発表しました。
渕上俊則(前)総務省人事・恩給局参事官が「公務員制度改革の動向を読む」を月刊『地方財務』(ぎょうせい)に連載中です。
多くの人が公務員改革を主張されます。しかし、議論がいっこうに進まないのは、関係者の間に共通理解がないからだと思います。それは、
①まず制度の現状が、十分明らかにされていないこと。制度と運用を解説した本ってないんです。公務員法の解説はありますが、私の言っているのは公務員制度の解説です。1種・2種・3種の職員が、職種別に何人採用され、どのように昇進し、どのように退職しているのか。配置転換や交流はどうなっているのかなどなど。
②百家争鳴だけど、それぞれ断片的で全体像を述べたものがないこと。
③公務員制度と運用の専門家がいないこと。これは霞が関にも学者にもいません。各省の人事課は、人事異動をしているだけです。給与の専門家はいますが。人事院は運用を行っていません。
④よって、議論が集約されないこと。
私も官僚論に関心を持ち、発言もしています。いつか、まとめたいのですが。制度と運用の現状(全体像)を書いた、良い資料がなくて困っています。(5月6日)
日本経済新聞「経済教室」は17日から「公務員改革」を連載しています。ただし、公務員制度の改革全体像ではなく、個別の問題についてです。

政治と行政または政治主導

2005年5月16日   岡本全勝
昨日付けの総務省の幹部人事異動について、大きく報道がなされています。総理が各省の官僚人事に「介入」したのは異例ではないか、という観点からです。私は詳細は知りませんので、発言できませんが、リクエストに応じて制度については、解説しておきましょう。
(幹部公務員の任免権)
各省の職員の人事権(採用・昇進等)は、各大臣にあります(国家公務員法第55条)。ただし、局長以上などの幹部職員の任免にあっては、閣議での承認(閣議決定による内閣承認)が必要です。これは、平成12年12月19日の閣議決定に根拠があります。これも、中央省庁改革の一環です。事前に、内閣の人事検討会議(官房長官主宰)に諮られます。
次に、事実についてです。今回の異動について、総理の意向が働いたことについては、総理自身が「麻生総務大臣と相談して決めた」とおっしゃっています(18日付け読売新聞、NHKニュースなど)。
(公務員の降格)
「降格だ」との報道がありますが、これは降格ではありません。総務審議官にあっては、職名も総務審議官のままで担当する所管が変わりました。局長にあっては、政策統括官へこれまた所管替えです。
ちなみに、指定職(省庁幹部、企業では取締役クラスと思ってください。課長以下と給料表が違います。勤勉手当がありません) には、大きく分けて4つのクラスがあります。次官級(各省の次官と、省名がついた審議官例えば総務省の総務審議官・外務省の外務審議官など)、外局の長官(消防庁長官など)、局長級(局長のほか、政策統括官)、審議官級(官房審議官、部長)です。
なお、今回の事例は該当しませんが、国家公務員は、決められた事由以外では、本人の意に反して降任や免職をされることはありません(国家公務員法第75条)。降任されるのは、勤務実績がよくない場合や、適格性を欠く場合、病気や職がなくなった場合です(同法第78条)。その場合は、処分の事由を記載した説明書を交付しなければなりません(同法第89条)。地方公務員法にも、同様の規定があります。
(政と官)
今回の人事は、「政と官」を考えるテーマとなりました。朝日新聞の18日の社説は、その点から取り上げています。
「これまでも幹部が追われる例があったが、不祥事が引き金だったり、政権交代にからむ政争だったりした。政策論の違いから起きた今度の人事とは、大きな違いがある。」
「政策を決めるのは、国民から選挙で選ばれた政治家であり、支持を失えば落選という形で責任を取らされる。官僚には、そんなけじめのつけようがない。」
「中立的で公正な専門家として、官僚は選択肢を示す。決断は政治家に委ね、無理な根回しは慎む。それが原則だろう。」
内閣と行政の関係については、拙著「新地方自治入門-行政の現在と未来」p276の図をご覧下さい。

日本の政治・内閣と与党

2005年5月16日   岡本全勝
郵政民営化法案について、自民党内での議論が報道されています。「内閣と与党との関係」「政党の党議拘束」など、政治学の良い勉強材料だと思います。
いくつも解説が書かれていますが、15日の東京新聞は「時代を読む」で、佐々木毅学習院大学教授(前東大総長)の「郵政法案と国会審議の新しい形」を載せていました。
「首相が国民に公約した重要な法案が党内審議の結果として葬り去られるという事態は、首相のリーダーシップや国民との約束という観点からして決して好ましいものではない」
「与党内に根強い反対があるような法案を国会に提出するのは、内閣にとって大きな政治的リスクである。しかしながら、国民に対する約束を根拠とするにせよ、あるいは、内閣の政治的・政策的信念に基づくにせよ、そうしたリスクに挑戦する自由を初めから与党内で封殺するという慣習は安定した国会運営にとってはメリットがあるかもしれないが、それ以上の積極的な意味を持つわけではない」
「内閣と与党とが基本的に政治的一体性を保つことは議会制の大原則であるが、時には両者の間で一定の緊張関係が露わになることをすべて排除しなければならないわけではない。その場合、国会が決着の場になることには何の不都合もないし、むしろ密室で処理されてきた議論を公開の場で吟味する機会を国民に提供することができる」