カテゴリーアーカイブ:行政
責任ある政治
ドイツでは、9月にも総選挙が予想されています。それに向けて、キリスト教民主・社会同盟が、政策綱領(マニフェスト)を発表しました(13日づけ読売新聞ほか)。この党は、保守系最大野党です。記事によると、「所得税や雇用者負担を軽減するため、付加価値税(消費税)を来年1月から2ポイント引き上げて、18%にすると明言」しているそうです。「消費税増税という不人気策をあえて掲げることで・・」との解説もあります。
日本では、いつになったら、時期と税率を明確にして、増税を訴える政党や政治家が出てくるでしょうか。「この半世紀の間、わが国では、国民に本格的な税の追加負担をお願いしたことがありません」(拙著「新地方自治入門」p299)という国です、日本は。増税しなくてすんだ幸せが、えらい負の遺産になっています。
私は、講演会の度に、増税の必要性を訴えています。もちろんその前に、歳出カットも。私の話を聞いた人たちは、それなりに理解をしてくださいます。でも、会場の質疑や別室での質疑では、「冗談じゃない。増税は悪だ」と言う人が多いです。
私も、増税はしたくありません。でも、歳出カットでは、赤字国債はなくならないのです。政治家も財務省も面と向かって増税を言わないときに、一人それを主張するのは「バカなこと」なのでしょうか。5年後、10年後の評価を待ちましょう。
全会一致の政治
過去の分析と未来の創造と:官僚の限界
東京大学出版会のPR誌「UP」6月号に、原島博教授が「理系の人間から見ると、文系の先生は過去の分析が主で、過去から現在を見て、現在で止まっているように見える。未来のことはあまり語らない。一方、工学は、現在の部分は産業界がやっているで、工学部はいつも5年先、10年先の未来を考えていないと成り立たない」といった趣旨のことを話しておられます。
この文章を読んだときに、私は「これだ」と叫んでしまいました。社会科学系の学者さん(の多く)も、社会を分析をしておられるのに、なぜ現実に対し有用でないか。理由はこれだったんです。
官僚の多くにも、これが当てはまります。法律の解釈や、事象の解説は天下一品ですが、じゃあどうするのか、どう改革するのかになると、とたんに沈黙するのです。できあがった法律の解釈学に甘んじ、改革に対してはいろいろ理屈をこねては抵抗する。これでは、国民の支持は得られませんよね。「政治主導」「小泉改革」の「引き立て役」ですか。
「国庫補助金改革の中味」を官僚が決められず、地方団体に選んでもらう。そしてそれに対し、「地方団体の意見がまとまらないなら、改革は進めない」「お手並み拝見」などと、評論家みたいなことを言っている。これでは、官僚の存在理由はないです。
省庁再編
17日の日経新聞は、連載「再編5年目、診断霞が関」「内閣府」を載せていました。内閣府は、省庁改革の目玉の一つです。経済財政諮問会議もそうですし、政治任用も期待されていたことです。それらが、これまでの霞が関流の仕事に対し改革を挑むとき、その事務局をどうするかは、難しいことです。