カテゴリーアーカイブ:行政

行政の責任、不作為・先送り

2005年8月30日   岡本全勝
アスベスト被害と行政による対策の遅れが、問題になっています。26日には関係閣僚会議で、過去の各省の対策について、検証結果をまとめました。27日付の朝日新聞「時々刻々」は、その検証結果を検証しています。
「あわせて7省庁から出された検証内容の中で、環境省の報告書には『反省の弁』らしきものが目立った。それは、自分たちは規制しようと思ったのに横やりが入ったー。こんな他省庁への当てつけと裏腹でもある・・・旧通産省の幹部から『・・・産業保護の観点からも問題がある』と反対された。旧労働省からも『工場内は当省で規制しているから外へは出てないはず・・・』と、やんわりと牽制された。・・・こうした霞が関の縦割り行政のひずみは、報告書に明記されていない」
「もっとも環境省も、77年から旧環境庁で大気中の石綿の濃度を調査していながら、89年まで大気汚染防止法による規制を行わなかった対応については、正当化に終始する」
「報告書では、『省庁間の連携の不十分さ』の具体例として、90年に旧環境庁が中心となって開かれた関係省庁連絡会議が、3年後に2回目を開いたきり有名無実化していたことも明らかになったが、この評価をめぐっても省庁間の見解は異なる、厚生労働省は・・・継続しなかった理由は『環境省が主催なのでわからない』。これに対し環境省は『昔の話を持ち出して、こちらの動きが鈍いという話にしている』と反発。責任の押し付け合いを露呈した格好だ」
まだ十分な検証がなされていないので、はっきりしたことは言えませんが、ここからかいま見られるのは、「官僚の不作為」と「縦割り行政による無責任体制」です。私は官僚制の欠点の一つが、不作為だと思います。「××をやった」「こんな実績を上げた」ということは書かれますが、必要なことを怠った、先送りしたという検証はあまりされません。
この記事は、省庁からの発表をそのまま記事にするのでなく、書かれていないことを検証した良い記事だと思います。

輸入商社としての東大と官僚

2005年8月23日   岡本全勝
22日の朝日新聞「戦後60年」は、東大でした。「小宮山宏学長は『世界一の総合大学を目指す』と宣言した」「日本はすでに30年前には先進国になっていたのだから、東大も世界の先頭を目指すべきだった。しかし明治以降、あらゆるものを外国から輸入してきたから、その発想がなかった」
「南原先生の時代は、欧米のものを持ってきて大衆に配るのがエリートの役割でした。今の日本は、高齢化、少子化、環境問題など、世界でも未知の問題が集中する『課題先進国』。モデルを追いかける時代から、自分でモデルを作らなければいけない時代になった。そして私たちが作るモデルが世界標準になる。知識の輸入ではなく、先頭に立つ勇気が必要だ」
かつて天下国家を考えていた東大生が、今は自分のことしか考えなくなっているという指摘があることに対しては、 「日本は国家や企業のために頑張ることを通じて個人を作ってきた社会だった。これからは個人が自分のために頑張る中からリーダーが生まれ、結果的に社会に貢献する」
その東大とセットになっていたのが、霞が関の官僚でした。欧米から先進行政を輸入し、日本中に行き渡らせました。各省は「総輸入代理店」であり、官僚は地域で生じる問題を拾い上げ解決する訓練を受けず・そのような思考はありませんでした(拙著「新地方自治入門」p57,p287)。

日本の政治

2005年8月23日   岡本全勝
日経新聞が25日まで、国際面で「ブッシュ政権2期目、権力のツボ」を、各省ごと4回に分けて連載していました。それぞれの長官やスタッフが、どのような主張を持ち、どのような政策を展開しそうかを解説していました。
日本では、このような記事が書かれませんよね。せいぜい、経済財政諮問会議と日銀政策委員くらいでしょうか。これは、次のようなことを示しているのでしょう。
①大臣ほか政治家が、政策を明確にしないこと。
②各省の高級官僚も、政策を主張しないこと。
これまでの日本は、これでも済んだということでしょう。
日本に帰ってきたら、日本の各省についてもこのような記事を書いてくださいね、小竹洋之記者。(6月25日)
(利益団体・政党・改革)
23日の日本経済新聞「衆院選、政策責任者に聞く」で、与謝野馨自民党政調会長は次のように述べています。
「民営化の意義はどこにありますか」と問われて。「改革への意志、思想、哲学が問われる。改革で党が自己犠牲を払う覚悟も問われている。自己犠牲とは今までの支持母体を失い、支持母体に支えられてきた国会議員も失う、ということだ」

官僚と政治

2005年8月21日   岡本全勝
21日の日本経済新聞が、「経済政策、政官に緊張関係。自民でも民主でも内閣主導一段と」を書いていました。
「両党とも『小さな政府』を掲げて官のリストラに取り組み、首相官邸を核にした内閣主導の経済政策運営を進めようとしているからだ。両党がマニフェストをまとめた際も、意識的に与野党と距離を置いたり、逆に根回しに走るなど官僚の対応も分かれた。霞ヶ関は、政治との新たな関係を模索している」
政治主導が進めば、当然、官僚と政治との関係も変わってきます。いえ、変わらなければなりません(拙著「新地方自治入門」p291~、一橋大学3)。

この国を変える

2005年8月19日   岡本全勝
1 社会のソフトウエアを設計する
「三位一体改革」が、政府の大きな課題になっています。国庫補助負担金の削減、国から地方への税源移譲、地方交付税の見直し。この3つを同時に行うものです。しかし、その目的は国と地方との財源配分変更にとどまらず、中央集権を地方分権に変えることです。それは、この国のかたちを変えようとするものです。
その他にも、行政改革、公務員制度改革、電子政府やユビキタス社会の実現。総務省が取り組んでいる仕事は、「国家と行政の新たな制度設計」であり、「新しい社会のソフトウエア」の整備です。
2 日本の構造改革とは
明治以来、我が国は、欧米先進国に追いつくことを国家目標としてきました。その際、官僚の仕事は、先進諸国の制度を輸入し、全国に行き渡らせることでした。そして、日本社会と官僚は、それに成功しました。貧しい農業国は世界第2位の経済大国になり、公共サービスも世界一の水準を達成しました。
なのに、日本社会は幸せを感じるどころか、不安や不満が満ちています。それは逆説的ですが、国家目標を達成したからです。もはや国民は、経済成長だけでは幸せを感じません。官僚が主導する「お仕着せのサービス」では、満足を感じません。単一の国家目標はなくなりました。それに代わって、各人が自ら考え、それぞれ目標を選び、努力する。これが社会の満足になり、あり方になったのです。
社会あり方の変化に応じて、政治と行政も変わらなければなりません。その改革に遅れていることが、国民の不満を生んでいます。改革の理念は、社会の理念の変化と同様に、画一から多様へ、依存から自立へです。その具体化が、中央集権から地方分権へであり、官から民への改革です(詳しくは、拙著「新地方自治入門-行政の現在と未来」)。
3 遅れている官僚の意識の転換
豊かな社会の官僚には、貧しい時代の官僚とは違う仕事が求められています。これまでは、外国から先進的な制度を輸入し、拡張することでした。しかしそれを達成すると、官僚の仕事は、社会の新しい問題を発見し、解決策を創造することに変わりました。
その際には、過去の手法ではなく、新しい時代に見合った手法に変えなければなりません。法令による、地方団体や民間企業の統制。細部にわたる行政指導や国庫補助基準による介入。これらはまさに、中央集権と官僚主導の手法だったのです。地方団体や民間企業が自立を求めるとき、これらの手法は障害でしかありません。しかしながら、まだ多くの官僚は、時代遅れの手法にしがみついています。
4 2005年、総務省の仕事の意義
総務省の取り組んでいる仕事は、地方分権であり、行政手続きの透明化であり、行政の減量です。それは、官僚の仕事のやり方を変えること、霞が関を変えることです。それが、日本の政治を変え、社会のあり方を変えることになるのです。総務省が取り組んでいる改革は、日本社会のソフトウエアの書き換えなのです。
これまで成功した手法を変えること。ここに、私たちの難しさがあります。しかしそこには、明治維新以来1世紀ぶり、あるいは戦後改革以来半世紀ぶりという、「新たな社会の制度設計」に取り組んでいる喜びがあります。