カテゴリーアーカイブ:行政

地方議員の報酬

2007年12月21日   岡本全勝

20日の朝日新聞は、福島県矢祭町の町議会が、議員報酬を月額制から日当制に変える方針であることを伝えています。記事に「欧米では日当制やボランティア制を採り入れている議会もあるが・・」とありますが、私の知る限り、月額制の方が少ないです(拙著「新地方自治入門」p338)。
議員活動に支障があるとの意見もありますが、ヨーロッパの市町村のように、昼間に議会を開かず、夕方から開けばいいのです。もちろん、議員にどれだけの報酬を払うべきか、その報酬を負担する住民に、民意を問えばいいことです。(12月20日)
イギリスの市の場合は2002年欧州探検記に、ドイツの町は欧州探検記その2に、フランスの村は欧州探検記その3に、イタリアの市は欧州探検記その4に載せてあります。

政策の検証

2007年12月19日   岡本全勝
17日の日経新聞「核心」西岡幸一コラムニストの「トップは20年後もつくる」は、今年亡くなられたNEC元社長と日立製作所元社長の功績と責任についてでした。本論も興味深かったのですが、次のようなくだりにも目がいきました。
・・1980年代から90年代の日本の電子産業絶頂期を築いた経営者・・
そのピークは半導体で米国を抜いて世界一に立った1987年、ちょうど20年前だ。当時の業界の自信を示す格好の材料がある。産業構造審議会が87年に発表した「2000年の情報産業ビジョン」だ。電子、通信、情報サービスを合わせた情報産業の生産額は2000年に140兆円、国内総生産(GDP)の20%を占め、電子産業だけで110兆円になるとした。電子産業は現在でも20数兆円にすぎない・・
私が関心を持ったのは、外れたかどうかよりも、外れたことの検証を行政が行ったかどうかです。官僚は新しいプランを打ち出すことは好きです。でも、それが5年後、10年後にどうなったかを検証しないのです。当事者は2年で異動。政策は引き継がれるより、新しいことを打ち出すと評価されるという風土があります。もちろん、この記事にあるのは民間活動の予測ですから、政策そのものではありません。しかし、この審議会は省庁の一組織です。

官僚制問題の責任者

2007年12月18日   岡本全勝
今日は、佐々木毅先生「守屋問題と政官関係」、『公研』2007年12月号から。
守屋問題は・・改めて、官僚制に対する監督責任の問題を、浮き彫りにした・・この責任問題は、政と官との接点に関わる極めて重大な論点を含んでいる。私のもっとも理解できない点は、あれだけ官に対する批判を口にする政に、官に対する監督責任を自ら引き受ける覚悟がほとんど見られないという点である。政権党であれば、政策をコントロールすることは勿論のこと、それを効果的に実現するためにマシーン(官僚制)の整備に配慮することは当然のはずである・・現状は、官が自己統治をしているというべき状態にある・・
私は大連載「行政構造改革」(第2章四)で、官僚機構の管理と評価は政治の責任であることを主張しています。もちろん、現在指摘されている官僚問題は、官僚自身に責任があるのですが、民主制において行政を監督する責任と権限は政治にあります。この部分は、2008年2月号に載る予定です。

消費者や生活者の視点に立った行政へ

2007年12月17日   岡本全勝
17日に関係閣僚会合が開かれ、「生活安心プロジェクト・緊急に講ずる具体的な施策」がまとまりました。
「消費者や生活者の視点に立った行政へ」として、「安全・安心を第一に大きく発想を転換」を掲げています。そして、「これまでの政府の仕事のやり方は,生産第一の視点から作られてきたため,国民生活の安全・安心の確保という視点が,政策立案の中心に置かれていなかった。国民が日々,安心して暮らせるようにしていくため,安全・安心を第一に,消費者や生活者の視点に立った行政へと大きく発想を転換すべき時代が来ている。」と述べています。

キャリア官僚の責任

2007年12月17日   岡本全勝
16日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅教授の「閉塞状態から脱出するには」でした。そのうち、官僚制に関わる部分を一部抜粋します。詳しくは原文をお読みください。
・・今年は・・政治の話題に事欠くことはなかった。しかし、外見上の派手な動きにもかかわらず、総じて気が滅入るような雰囲気が社会全体を覆っている。その原因の一つは、相次ぐ「行政の失敗」である・・
行政の感度の鈍化は、行政不況のような由々しい事態を招いている。労働市場において、公務員という職種が「負け組」になっているという指摘はいわれて久しい。これでは、劣化は進むばかりである。放っておいて、事態が改善する見込みはない。このままでは、公務員集団は社会の中で異物化しかねない。
かくして公務員制度の改革は「やるかやらないか」という選択の問題でなく、「いつやるか」という選択の問題になった。生かしうる人材を生かすためにも、それは欠かせない。当然のことながら、「政権は握っていたい、しかし使用者責任は御免だ」という話はもう終わりにしなければならない。政権に使用者責任がないといった話を、もはや誰も信じていないのである・・