日経新聞「経済教室」が、トヨタ自動車のリコール問題に関連して、「ものづくり再論」を連載しています。門外漢ながら、いえ門外漢なので、勉強になります。3月18日は、木村英紀先生の「システム思考の革新急げ」でした。先生の主張は、自然科学やもの作りについてですが、「システム思考」について、私なりに考えてみました。
システム思考は、自然科学や人工物を理解する仕方です。すなわち、複雑なものを機能に着目して部分に分けて、それらのつながりとして理解する、といったらよいでしょうか。
人間は、複雑なものを、そのままのかたちでは理解できません。全体として把握できないので、いくつかの機能の部分に分けます。また、人工物の場合は、部分が動くように作って、それを組み立てます。
例えば、人体を、消化器系、神経系、呼吸器系、循環器系として理解します。自動車を、動力(エンジン)、制動(ブレーキ)、変速(トランスミッション)などの部分に分けて考え、組み立てます。
さて、社会科学の分野に転用すると、「組織」も人工物の一つです。会社だと、製造、搬送、販売、購入、財務といった部門に分けて、仕事を特化させます。そして、それを統括します。
個人営業なら、一人で、購入、製造、搬送、販売、財務をこなすのでしょうが、少し大きくなると、一人で全部はできません。そこで、機能ごとに仕事を分割し、組織を分けます。官僚制組織も、この典型です。
これは、機能的かつ合理的ですが、全体像を把握し、各部門を最適化する作業が必要になります。そして、部門それぞれが最適かという問題と、部門間がうまくつながっているかという問題が生じます。
自動車で言うと、必要以上に大きなエンジンを載せているのが、前者の問題で、ブレーキとエンジンの機能はうまくつながっているかが、後者の問題です。組織の場合も、製造部門が大きすぎないか=無駄なものをつくっていないか。営業部門での情報が、うまく開発・製造部門につながっているか。といった問題が生じます。組織が大きくなればなるほど、この二つの統括は難しくなります。しかし、システム思考しか、大きな組織を動かすことはできません。
それぞれの部門が、目的に向かって効率的につながるようにするのがシステム思考であって、部門に分けるだけでは「分割」「分担」でしかありません。全体を統括する部門の役割が、大きくなります。
(このような機能別分担と統合のほかに、目的別分担や地域別分担もあります。県庁で言うと、農林部、土木部、福祉部に分けるのが目的別分担で、県内のいくつかの地域に出先事務所を置くのが地域別分担です。それらの場合も、企画、人事、財務などは、機能別分担になっています。)
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行政
政治の存在意義
17日の読売新聞・地球を読むは、佐々木毅先生の「新前川レポート」でした。
・・グローバル化時代における政府の役割は、経済環境全体の大きな変化の中で、限界はあるにしろ、まずは国民に一定程度の安定感を与えることを通して、社会の生存能力を維持することである。
言い換えれば、日々疾風怒濤の中に置かれているグローバル企業の動向から、一定程度自立した社会空間を国民に提供することが政府の役割であり、国民を漫然とこの疾風怒濤の中に投げ込んでいるのでは、存在意義がないことになる。それでは、グローバル化と民主政治を抜き差しならない対立関係に導くことにつながる。
先に触れた旧来のシステムの解体の結果、何が起こったかというと、それは比喩的に言えば、社会の信用創造の慢性的な劣化であった。過度の癒着の排除の後に登場したのは、バラバラの中での相互不信、相互無関心の増殖であった。官と民、中央と地方から株式市場に至るまで、究極的には少子化に至るまで、この劣化は至る所に深く根を張っている。
これは、経済や社会の前進を阻むゆゆしい兆候である。この立て直しは基本的に政治の課題であり、それは最終的には、政府の存在意義の確立を通してのみ実現可能である・・
二院制
17日の日経新聞「核心」は、土谷英夫コラムニストの「この二院制でいいのか」でした。歴史的、諸外国比較から、二院制のあり方を論じておられます。
政治とは、正解が最初からあるものではありません。それを見つけ出す過程が、政治です。今回の衆参ねじれは、日本にとって良い経験だと、私は考えています。おかしかったら変える。これができるかどうかです。
自治体の商工費・労働費
少し古くなりましたが、月刊『地方財政』(地方財務協会)2007年12月号に、武田公子金沢大学教授の「貧困との闘いと地方財政」が載っていました。先生は、自治体の商工費と労働費の支出割合の低さを、ヨーロッパと比較しておられます。外国との単純比較は避けなければならないと、留保しておられますが。
私も長年、地方財政や予算査定に携わっていて、商工費は中小企業への補助金、労働費は失業対策がなくなってからはほとんど内容がないと、理解していました。自治体の出番はないものだと。
しかし、先生が紹介しておられるように、職業訓練、問題を抱えた人へのカウンセリング支援、雇用機会の創出、失業者を雇用した企業への補助、コミュニティビジネス振興など、自治体が取り組むことができることは多いのです。
これまでは企業が雇用の場をつくってくれたので、自治体はこの分野に力を入れる必要はなかったのです。かつての失業対策事業が自立に結びつかず弊害が多かったこと、労働行政を国が独占して地方団体の出番がなかったことも、原因でしょう。企業が海外に流出して、この分野の政策の重要性が見えてきました。
働く場をつくること、困難を抱えている人の自立を支援することは、自治体の大きな責務です。モノをつくるより、もっと重要なことです。そして、はるかに少ないお金でできます。
途上国の法整備支援と日本法の英語訳
カンボジアの復興に際し、日本がPKOを送った話は、皆さんご存じでしょう。このホームページでも、私の経験を含めて紹介しました。その後、カンボジアの民法と民事訴訟法の起草を、日本が支援したことは、あまり知られていません。これは大変な作業であり、また明治日本の法受容を考えると、とても重要な支援です。
今日、紹介するのは、その際に日本法令の英語訳が必要だという話です。支援に携わられた安田佳子弁護士が、次のようなことを書いておられます。雑誌「ジュリスト」2005年2月15日号。法典の起草は、カンボジア人と日本人が行ったので、クメール語と日本語で行われました。ところが、支援国会議では、その作業が進んでいるのに、知られていないどころか、法案に矛盾することが提案されるのです。「理解できる言語で成果が示されない限り、成果はないに等しい」「日本は何をやっているのかわからない」という雰囲気なのだそうです。英語が事実上の世界共通語になっていて、日本語はマイノリティ言語であることを思い知ったと、安田さんは書いておられます。そして、カンボジア人からも、難解な法律文書は、クメール語で読んでわからない時は英語で読んだ方がわかりやすいことがあると、英語訳を求められるのだそうです。そこで英語に翻訳するのですが、これがまた難事業です。「物件」はreal rightsなのか property rights か。「親族」はfamilyなのかrelativeか。これ以外にも、ご苦労なさったことが書いてあります。詳しくは、原文をお読みください。