カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

村井宮城県知事「震災10年の復興政策」

12月22日の朝日新聞オピニオン欄は、村井嘉浩・宮城県知事のインタビュー「震災10年の復興政策」でした。

―来年3月で震災から10年になります。復興政策をどう総括しますか。
「阪神・淡路大震災(1995年)と比較したら、びっくりするくらい特別な支援をしてもらいました。ただ、立場によって見方は変わると思います。被災者の立場からは『まだまだやってほしかった』、私の立場からは『非常によくやってくれた』、国の立場からは『税金を使いすぎた』、となると思います」

―税金の使いすぎ、ですか?
「国から見たら、やはり非常にぜいたくに見えるんじゃないですか。三陸縦貫自動車道を、一気に岩手まで引っぱってくれました。私が生きている間に行くなんて思っていませんでした。それが9年、10年で。防潮堤もそうです。国の財務省の目線で見ると、非常にぜいたくに見えるかもしれません。ただ、我々からすると、必要な財源で、必要なものをやりました」

―残された課題は何ですか。
「ソフト面の支援です。心のケアが必要な人には個人差があり、個別の対応が求められます。災害公営住宅でのコミュニティーづくり、人材の確保や販路開拓、子どもの不登校率の高止まりなど、課題が積み残っています。市町村やNPOと一緒に、一つ一つ取り組んでいくしかありません」

原文をお読みください。

原子力災害伝承館が伝えることと残っていること

朝日新聞ウエッブニュースのアナザーノート、大月規義編集委員の「伝承館に残る故・吉田所長の言葉 そして双葉病院」(9月20日配信)を紹介します。
20日に開館した、東日本大震災・原子力災害伝承館の展示についての解説です。展示を見るだけではわからないことを、解説しています。要点を書き出します。

1 オフサイトセンターが役に立たなかったことと、解体されてしまったこと。
2 原発事故後に避難指示が出た際に、置き去りにされた人たちがいたこと。しかも、病院の入院患者です。また記事には書かれていませんが、避難した人たちも、寝たきりの病人が行き先も決めず、バスで運ばれました。そして、死者が出ました。この運送方法と死者が出たことは、もっと反省されるべきです。
3 吉田所長の責任。記事に書かれていることの他に、NHKの検証では、所長のとった水の注入はほとんど届いていなかったとのことです。
4 経産省のけじめについてです。この記事では、「責任とっていない経産省」と書かれています。

このうち2と4については、このホームページでも取り上げてきました。次回、それを整理して書きましょう。