カテゴリー別アーカイブ: 寄稿や記事

雑誌への寄稿や取り上げられた記事、講演録など

発言「能登半島地震、1週間」

共同通信から、私の発言「能登半島地震、1週間」が配信されました。加盟している地方紙に、順次載っています。見出しは「借り上げ住宅供給急げ「復興議論 集落ごと丁寧に」などとなっているようです。

大災害への備えと起きた際の対応は、阪神・淡路大震災、東日本大震災などを経験して、大きく進化しました。それらは、今回の災害でも生かされています。
それでも、想定外のことは起きます。今回は、集落の孤立です。そして、備蓄物資の不足が目立っています。このことは、予測されている南海トラフ地震への教訓になるでしょう。

災害が起きてからの対応は、時系列で次のようになります。
1 救助と避難所開設
2 避難者の生活支援
3 仮設住宅入居
4 住宅とまちの復興

時間の経過とともに課題は変化するのですが、それを承知の上で、私は東日本大震災の経験から、次のようなことを主張しました。
・仮設住宅建設は時間がかかるので、借り上げ仮設を活用すること。
・高齢者が多い集落では、残念なことですが、町を元に戻す形の復興は難しいでしょう。集落ごとに将来見通しを立てて、丁寧な議論が必要です。

コメントライナー寄稿第15回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第15回「日本型職場の功と罪」が12月14日に配信され、19日のiJAMPにも転載されました。

驚異の経済発展を遂げた日本。その職場は当時、世界が注目するところでした。しかしいまや、日本の労働者の時間あたり生産性は、経済協力開発機構加盟38か国の27位です。労働の質の面でも、二流になりました。この原因として産業構造の転換の遅れが挙げられますが、私は、職場慣行もあると考えています。

かつては効率的だった大部屋主義が、今では短所になってしまったのです。日本では、仕事が係に割り当てられ、社員は前任者からの引継書を見ながら、同僚の支援で仕事を進めます。これに対し諸外国では、仕事は各人に割り当てられ、職務記述書と執務要領で仕事をします。
「係員全員で助け合って仕事をする」職場は効率的でしたが、前例通りに仕事をこなせばよい時代が終わり、新しい仕事に対応しなければならなくなると、目標を与えられないままでは、社員はどちらに進んだらよいかわかりません。
そして、一人に一台パソコンが入り、職場はいつの間にか個人で仕事をするようになりました。大部屋ではなくなったのです。すると、誰が何をしていて何に困っているかわかりません。各人も、係全体の仕事がどのように進んでいるかを知ることができません。上司が、部下に指示を出し、部下の悩み答えなければなりません。しかし、管理職はそのような訓練を受けていません。

困難に直面しているのが、管理職です。係で仕事をする職場では、管理職は「部下に任せた」ですみました。管理職養成も先輩を見て覚えるもので、社員の中から優秀な者を管理職に抜擢していたので、管理職を育成する仕組みがなかったのです。
日本の職場の生産性を上げるためには、管理職に管理職の仕事をさせることと、管理職を意識的に養成することが必要です。

コメントライナー寄稿第14回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第14回「役所にも人工知能がやってくる」が10月12日に配信され、17日のiJAMPにも転載されました。時事総研のホームページにも掲載され、無料で見ることができます。

生成AI(人工知能)が発達して、機械が文章を作ってくれるようになったことが、世間を騒がせています。しかし、文章作成でも機械化は進みつつありますから、驚くことではありません。
文章の作成は、「着想」→「文章化」→「表記の確定」→「送付」→「発表」→「保管」に分解されます。「表記の確定」は手書きからワープロに変わりました。「送付」「発表」「保管」も電子媒体に変わり、便利になりました。「着想」もインターネットの検索で済ませることも多くなりました。
「文章化」については、コピペは公務員もやっています。市長の式辞をつくる職員は、前例を引っ張り出して、式典名や人名を入れ替えることで作成しています。
コピペでつくられた文章、式典で二番手以降で読むと困るのですよね。先に話した人とほとんど変わらないのです。他方で、祝辞や弔辞で心を打たれることがあります。その違いは、その人独自の内容を含んでいるかどうかです。
文章作成でも着想と「文章の肝」において、職員の独創性が試されます。機械に頼っていると、その能力は向上しません。

役所の業務全体では、行政改革や人員削減によって、機械化や外注が進みました。調査や企画を調査会社に委託(丸投げ)することも多くなり、工事の発注も施工だけでなく設計段階から企業に委託することが広がっています。企画や施工を委託していると、考える能力だけでなく、成果物を評価する能力もつきません。

仕事を手抜きの場と考えるか、能力を磨く場と考えるか―。職員が生き残れるかどうかは、この差でしょう。

コメントライナー寄稿第13回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第13回「マイナカード問題と組織管理」が8月10日に配信され、15日のiJAMPにも転載されました。また時事総研のHPにも掲載されて、これは無料で読むことができます。

マイナンバーカード交付を巡る混乱が問題になっています。政府は行政の電子化を進めるために交付を急ぎましたが、他人の情報を登録するなどの多くの間違いが発生しています。この問題を、東日本大震災での被災者支援や、新型コロナウイルス対策と比べてみました。これらは、政策の実施過程として見ると、新しい課題への取り組みであること、政府を挙げて対応するため本部組織が作られたこと、広範な国民を対象とすることなどが共通しています。

問題の原因を、3つ上げました。
1つめは、本部組織での現場感覚の欠如です。新型コロナウイルス対策では、当初自治体に膨大な指示が出て混乱が生じましたが、自治体を知る総務省幹部が地方との連携を担うことになって円滑に進みました。
2つめは、本部組織の社風の問題です。各省庁や民間から集められた混成部隊の職員をどのようにして能力を発揮させるかです。
3つめは、幹部職員の人選です。組織の全体を把握し、首相官邸や大臣と意思疎通する人が必要です。

コメントライナー寄稿第12回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第12回「一身にして二生を過ごす」が、7月10日に配信されました。

高度経済成長によって、私たちの暮らしは大きく変化しました。私たちは今、もう一つ大きな変化を経験しています。経済成長期にできた「標準的家族の終わり」です。漫画「サザエさん」に描かれているです。夫婦と子2人の4人家族、父親は仕事に出かけ、母親は家庭を守ります。ところが今や、片働きより共働きが多くなりました。家族の数は1人暮らしが一番多いのです。

人権意識も大きく変わりました。私が就職した頃の人権教育は、同和問題が主でした。現在では、いじめや体罰、家庭内暴力、パワハラ、セクハラ、性的少数者へと広がりました。特に男女間の格差解消は、革命的な変化です。

福沢諭吉は江戸と明治の二つの時代を生き、『文明論之概略』で「一身にして二生を経るが如し」と述懐しています。明治維新に続き戦後改革でも、憲法体制が革命的に変わりました。
平成と令和を生きている私たちは、憲法は変わらなかったのに、革命的経験をしています。しかも前2度の革命より、暮らしの形と社会の意識は大きく変化しています。政治革命を伴わない社会革命です。