カテゴリーアーカイブ:寄稿や記事

被災者生活支援本部、指名した2人

2018年1月16日   岡本全勝

日経新聞夕刊コラム第2回の補足説明(1月11日記事)に、私が呼び寄せた2人の名前を書きました。「なぜ、その2人を指名したのですか」との問い合わせがあったので、説明します。
彼ら2人は、旧総務庁採用です。私の自治省の後輩でありません。2001年に行われた省庁改革を準備する本部で、知り合いました。1998年から、参事官だった私を、企画官として支えてくれました。その後も、時に集まっては「意見交換」をしていました。

二人とも、省庁改革本部勤務とともに、行政管理局などの経験もあり、霞が関全省庁の組織や仕組みを熟知してるいるのです。被災者支援に必要な仕事を分類整理し、霞が関各省から人を集め、組織をつくる。それには、彼らが適任だと考えたのです。
被災地の自治体との連携も必要ですが、それは総務省や国土交通省に任せておけます。

そして彼らは、私の仕事のやり方を熟知しています。私も、彼らの仕事ぶりを知っています。細かい指示をしなくても、どんどん進めてくれるのです。
夕方に私の前にやってきて、「関係者の××に、『全勝さんの指示だから・・・』と言ってありますから、問い合わせが来たら『その通りや』と答えてください」というようにです(苦笑)。
また、面と向かって「それは、駄目でっせ」と意見を言ってくれるのです。
このような職員を知っていた、持っていたことは、幸せでした。

日経新聞夕刊コラム第2回

2018年1月11日   岡本全勝

日経新聞夕刊コラムの第2回目「暗闇の灯台になる」が載りました。前回に続き、大震災直後の話です。
当時は、「未曾有」とか「想定外」という言葉が、よく使われました。しかし、想定外のことは起こります。その際に、責任者は何をするべきか、何を考えるべきか。私の経験を伝えたくて、この話題を選びました。
個別の案件を処理するのが、トップの仕事ではありません。たくさんの課題を円滑に処理できるように仕組みを作ること、かつ混乱している中で優先順位を付けることが、仕事です。そのために、そのようなことができる組織をつくることが重要です。

私がしたのは、それをしてくれる2人を呼んできたことです。
組織が出来て(作りつつですが)、仕事の流れができれば、それぞれの担当者が処理してくれます。そして、彼らが判断できないことを私が判断する、あるいは大臣に相談すれば良いのです。
あわせて、ここに書いたように、国民に私たちの存在を知らせる必要がありました。それが「灯台」です。関係者に「手形交換所」を知らせることも必要でした。

文中に出てくる2人は、山下哲夫・行政改革本部参事官(現・総務省行政管理局長)と、福井仁史・内閣府公文書管理課長(現・国立公文書館理事)です。
被災者生活支援本部の記録、下(事務局風景)の真ん中の写真で、左奥時計の下のスーツ姿と、左手前資料を持って歩いている姿です(2011年3月24日)。発足当時は彼らは机もなく、立ったままで、あるいは空いている席を見つけて仕事をしていました。
下左の写真、手前真ん中が私の席ですが、座っていませんねえ。指示を書く罫紙と万年筆とサインペンが載っています。この騒々しさの中でしゃべるので喉を痛め、ペットボトルの水が必需品でした。
下右の写真は、しばらくしてから移った執務室です。服装を見ると、初夏の頃でしょうか。
1月16日に続く。

日経新聞夕刊コラム第1回

2018年1月4日   岡本全勝

今日1月4日付けで、第1回「前例はない」が載りました。今回は名刺代わりに、大震災直後の話を書きました。
私の官僚生活の一番の思い出が、東日本大震災対応です。当時のことを広く知ってもらおうと思い、この話題を選びました。読者も、この話ならわかりやすいと思いました。お正月の4日から、このような話題で良いのか、少し悩んだのですが。
紙面では、顔写真付きです。

河北新報フォーラム「被災地と企業」詳報

2017年6月27日   岡本全勝

27日付けの河北新報に、20日に行った公開フォーラム「トモノミクス 被災地と企業」の詳報が載りました。
私の基調講演も、簡潔にまとめてくださっています。見出しは「公を支える民間拡大」「つなげる機能重要」です。

住みよい地域社会をつくるのは、行政だけでなく、企業もNPOも大きな役割があることが、この大震災を通して理解されました。社会は、公私の二元それも二つが対立するものではなく、官共私の三つが協力することで成り立っています。
このような企画を通じて、世間に広がると良いですね。

NHKインターネットにインタビューが載りました。

2017年4月8日   岡本全勝

NHKのインターネットニュースのWEB 特集「原発被災地 どう進める住民の帰還」に、私のインタビューが載りました。帽子姿の写真付き、関西弁ありの記事です(NHKで、こんなのは良いのですかね。苦笑)。

原発事故対応は、発災当時から私の所管ではありません。原子力災害本部やその事務局、原子力被災者生活支援チームの担当です。とはいえ、避難された方の支援(原発事故からの避難か、津波災害からの避難か区別しなかったのです。それどころではなかったですから)や、被災地の復興は、私の所管でした。
今回は、記者の求めに応じて、私の知っていることと私の考えを述べました。

補足します。帰還するか、新しい生活を選ぶか、決めることができない人への支援についてです。
仮設住宅や見なし仮設住宅に入っておられて、次の生活の判断がつかない方は、原発事故だけでなく津波避難者にもおられます。高齢で次の生活をどうするか悩んでおられる方も多いです。先行した市町村、例えば仙台市では、仮設住宅を各戸訪問して、相談に乗りました。場合によっては、社会福祉でのお世話をする場合もあります。仙台市ではこの結果、すべての仮設住宅を解消しました。その他の自治体でも、同じような取り組みを進めています。

原発事故で避難しておられる方は、津波避難とは違った不安や、相談相手がいないという不安も持っておられます。市町村や支援してくださっているNPOの力を借りて、相談に乗り、新しい生活に移ってもらうと考えています。仮設住宅に長期間入っていることは、精神的に負担がかかり良くないことだと、専門家は指摘します。その通りだと思います。