岩波書店のPR誌『図書』11月号に、佐藤卓己さんが「誤報事件の古層」を書いておられます。戦前の朝日新聞が、どのような誤報を出したか、またそれを隠蔽したかを解説しています。会ってもいない人とのインタビュー記事をでっち上げたり、それを自慢する風潮もあったようです。間違ったという誤報でなく、嘘を書いたという誤報です。面白いですが、新聞の役割を考えさせられます。
誤報の他にも、新聞やマスコミの「罪」が起きるあります。それは、「書くべき事柄を書かない」という場合です。社会の木鐸として、警鐘を鳴らすべき時に、知らないふりをすることは、大きな罪です。専門誌や雑誌なら、「ある分野に特化しているので」と言い訳できますが、新聞は社会の問題全般をとらえることも大きな役割です。
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ブラジルの経済社会変化
10月28日の読売新聞国際面に、ブラジル大統領選挙結果の解説が載っていました。現職のルセフ氏が接戦の末に再選されたのですが、ブラジルの社会変化を背景に、政権の課題が解説されています。
それによると、現在の与党である労働者党が政権を取った2003年には、人口の過半数が低所得者で、中間層は4割にも満ちませんでした。それが2014年には、低所得層は25%に減少し、中間層が6割に達しました。政権による貧困対策、経済対策が成功したのです。記事には、変化を示す棒グラフもついています。一目瞭然です。
この急激な変化に驚きます。たぶん、かつての高度成長期の日本と同じでしょう。この経済発展によって、国民は豊かになり、平等にもなりました。しかしそれは、個人の生活だけでなく、家族のあり方や国民の意識も、大きく変化させます。それによる戸惑いや軋轢に、どう対応するか。これが大きな課題になっているでしょう。そして、政権としては、これまでの貧困層から中間層へと、支持基盤を変えていく必要があります。これは、難しいことです。
賭博は白昼堂々とするものではない。内田樹さん
朝日新聞10月21日オピニオン欄、内田樹さんのインタビュー「カジノで考える民主主義」から。カジノを含む統合型リゾート開発を推進しようという法案(カジノ推進法案)について。
・・僕は別に賭博をやめろというような青臭いことは言いません。ただ、なぜ人は賭博に時に破滅的にまで淫するのか、その人間の本性に対する省察が伴っていなければならないと思います。
賭博欲は人間の抑止しがたい本性のひとつです。法的に抑圧すれば地下に潜るだけです。米国の禁酒法時代を見ても分かるように法的に禁圧すれば、逆にアルコール依存症は増え、マフィアが肥え太り、賄賂が横行して警察や司法が腐敗する。禁止する方が社会的コストが高くつく。だったら限定的に容認した方が「まし」だ。先人たちはそういうふうに考えた。
酒も賭博も売春も「よくないもの」です。だからと言って全面的に禁圧すれば、抑圧された欲望はより危険なかたちをとる。公許で賭博をするというのは、計量的な知性がはじき出したクールな結論です・・
「十分な依存症対策を取れば、カジノ法案に賛成ですか」という問に対して。
・・賛成できません。法案は賭博を「日の当たる場所」に持ち出そうとしている。パチンコが路地裏で景品を換金するのを「欺瞞だ」という人がいるかもしれませんけれど、あれはあれで必要な儀礼なんです。そうすることで、パチンコで金を稼ぐのは「日の当たる場所」でできることではなく、やむをえず限定的に許容されているのだということを利用者たちにそのつど確認しているのです。競馬の出走表を使って高校生に確率論を教える先生はいない。そういうことは「何となくはばかられる」という常識が賭博の蔓延を抑制している。
賭博はあくまでグレーゾーンに留め置くべきものであって、白昼堂々、市民が生業としてやるものじゃない。法案は賭博をただのビジネスとして扱おうとしている点で、賭博が分泌する毒性についてあまりに無自覚だと思います・・
このほかにも、メディアの責任について鋭い指摘をしておられます。原文をお読みください。
EU、難民の受け入れ
中東と北アフリカ諸国での内戦や混乱で、ヨーロッパを目指す難民が増えています。2013年に、EUに国際的保護を求めた難民申請件数は、35万人だそうです。地中海で船が遭難する事件もあります。『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2014年7月号が、簡潔な報告を載せていました(すみません、遅くなって)。「欧州における反移民感情の台頭」。
ところで、スウェーデンが移民の国になっていることを、ご存じでしたか。人口に占める移民の割合は、2000年には11%でしたが、いまや17%にもなり、アメリカの13%より多いのです「移民と社会同化―追い込まれたスェーデンの壮大な実験」。人口950万人のスウェーデンは、2013年には5万4千件の難民申請を受理したとこのとです。急速に移民(難民)を受け入れているのです。経済が豊かで、社会が平等や連帯を目指していたスウェーデンは、このように寛容な政策をとっています。移民統合・平等大臣もおかれています。もっとも、リポートでは、経済の悪化、移民の増加、失業率の上昇、社会の分裂によって、大きな問題になっているようです。
ところで、高福祉・高負担のイメージが強いスウェーデンですが、この20年間に減税と歳出削減が進んでいます。GDPに占める税収の割合は、2000年の51.4%から2012年には44.3%に低下しました。公的支出がGDPに占める割合も、1993年の67%から現在は52%に減少しています。社会保障サービスの多くが、民間企業に委ねられるようになっているのだそうです。なお、先進各国の財政状況比較は、財務省のパンフレット「日本の財政関係資料」p44,45がわかりやすいです。
アカデミズムとジャーナリズムの関係
昨日紹介した月刊『ジャーナリズム』2014年9月号「特集 時代を読み解く珠玉の200冊」のp25、田所昌幸・慶應大学教授の文章から。
・・そのアカデミズムとジャーナリズムは、お互いにあまり好意を持っているとはいえないのが実情ではないか。しばしば気づくのは、ジャーナリズムの世界では「学者」というのは褒め言葉というわけでななく、「観念的」とか「非現実的」とかいうことの代名詞として通用しているように見えることだ。また、大学で教えているというだけで、なぜか妙に敵対的な態度をとるジャーナリストに遭遇することもある。それにしては退職して大学の教員になっているジャーナリストが多いのは不思議なことだが。
確かにアカデミズムでは、何らかの主張をするための知的な手続きが厳格で、結論を出すまでの手順に慎重を期さねばならないのは事実である。それで歯切れが悪いとか、ハッキリしないとかいう反応が多くなる。
逆に、アカデミズムの側の人間には、ジャーナリストはいつも結論を性急に出そうとするとか、ありきたりの枠組みでいつも同じような言説を発しているという思いがある・・もっとも、見下している割には、テレビや新聞に登場できると、うれしくなるアカデミックが多いのも、お互いさまというべきだろう・・