カテゴリーアーカイブ:社会の見方

金融政策、専門知の分裂

2018年2月6日   岡本全勝

2月4日の朝日新聞別刷りGlobeの特集は「FRBと日本銀行」でした。なかなか読み応えのある特集です。そのうち、山脇岳志・編集委員の「専門知の分裂と私たち」を紹介します。

・・・金融政策の話は難しい。経済学の博士号を持っている人たちが、全く異なる見通しや懸念を持ち、論争をしている。
日本銀行による積極緩和策を唱える「リフレ派」と、超金融緩和や財政との一体化のリスクを指摘する「反リフレ派」の20年以上の論争。知人からは、「どちらを信じれば?」との迷いをよく聞く。迷って当然だと思う。
どちらの主張が正しかったのかは、いずれ歴史が審判を下すだろう。ただ、どちらを信じるかで、貯金や投資、借金をして家を買うべきかといった私たちの「今の行動」は変わってくる・・・
「専門知」の分裂……それは、個人にとって厳しい判断を迫られる時代となって、眼前に広がっている・・・

・・・当時(2002年)の私は、「リフレ派」寄りだった。日銀の政策はあまりに消極的に思え、それまでの政策を批判し、積極策を取るべきとの考えを記した。「だが、そう考えるのは、今アメリカにいて、アメリカ人のエコノミストや当局者の意見を聞きすぎているためかもしれない」との留保はつけた。米国の主流派エコノミストの多くは、日本が取るべき金融政策については、「リフレ派」の立場だった。
私が米国の主流派への懐疑を強めたのは、その1年後、03年のことである。FRBは00年のITバブルの崩壊後、超金融緩和を続けていた。金利低下を生かし、住宅を担保に借金を増やして新車を買うといった人々の行動に、日本の80年代のバブルと共通するにおいを感じた。米国を去る直前に書いたFRBの連載の最後の記事は「危うい成長構造」という見出しにした。

当時、米国の当局者やエコノミストに「住宅バブルが起きつつある」と指摘したが、「日本とは全く状況が違うよ」と、ほとんどの人に相手にされなかった。バブルが崩壊し、世界を揺るがす金融危機に発展したのは5年後だった。
今も米国の主流派の学者・エコノミストの中には、日本経済の処方箋について「リフレ派」的な考えを持つ人は多い。
ただ、神様のようにもてはやされた当時のFRB議長、グリーンスパンの評価はバブル崩壊後に急落した。少なくとも私は、FRBや米国の著名な学者の多くが、住宅バブルや金融危機の兆候を見逃したのを目撃して、経済学の権威だからといって、正しい見方や予測ができるとは限らないと感じた。中央銀行の力も過大評価しないほうがいいと考えるようになった・・・

広辞苑改訂

2018年2月4日   岡本全勝

「広辞苑」が10年ぶりに改訂され、第7版が出ました。広辞苑は、国民的辞典と呼ばれるほど、なじみの深いものです。改訂が、ニュースで取り上げられるほどです。私も、愛用しました。
インターネットでの検索が便利になり、売り上げ部数は半分ほどになっているようです。分厚いので、机の上に置いておくには場所を取るのです。職場では、同じ岩波書店の「国語辞典」を使っています。

広辞苑に載ることが、言葉としての一つの「認知」です。
職員の文章に見慣れない言葉が使われていると、「これって、広辞苑に載っているか? いないのなら、他の言葉に言い換えるか、補足説明を書いてくれ」と指導します。

今回は、約1万項目を追加したとのこと。新語が、社会を反映しています。次のような言葉が、新たに載ったそうです。
東日本大震災、安全神話、限界集落、モラルハラスメント。
どのような事象が生まれたかが、よくわかります。他方で、「上から目線」「立ち位置」などは、新たに生まれた事象ではなく、私たちの認識が変わったということですね。

人生相談に見える社会

2018年1月31日   岡本全勝

1月30日の朝日新聞オピニオン欄「人生相談に見える社会」から。

加藤諦三・早稲田大学名誉教授の発言。
・・・悩みというのは「変装」が上手なんです。多くの場合、相談者の真の問題は、本人が考える悩みの背後に隠されています。先日、女性から「子ども夫婦の仲が悪くて心配です」と相談がありました。これを申告通り受け取ってはいけません。「なぜそれを悩みだと言うのか」と問いを立てて話を聞いていくと、実は相談者の心を本当に悩ます問題は「老後への不安」でした。私との会話の中で本人も気づき、納得してくれました・・・
・・・電話相談でもっとも無意味なのは良識を持ち出すことです。「当事者でよく話し合いましょう」。それができれば電話はかけてきません。「親を憎んではいけない」は正論で良識ですが、親を憎み切ることでしか解決しない問題もあります。良識は真の悩みの存在を隠したり、解決を妨害したりするのです・・・
・・・半世紀前も今も、この電話相談にかけてくる悩みの原型は変わりません。人間関係の不満や嫉妬、ねたみなどで、はるか昔、旧約聖書やギリシャ神話の時代にすべて出ている問題なのです。
昔からの悩みが変わらないのは、人間の「内」の問題は社会の進歩と関係ないからです。例えば医療の進歩で、昔は「不治の病」と言われたがんが今は治療可能ですが、こうした「外」の問題と違い、内面は変化しようがありません。目に見える「生存の問題」より、目に見えない「実存の問題」は難しいのです・・・

真梨幸子さん(作家)の発言。
・・・明治、大正時代の人生相談も参考に読みましたが、人の悩みは時代が変われど同じだと思いました。いつの世も人は下世話な悩みを抱えて生きています。「恋愛問題」と言っても突き詰めれば、性生活や浮気や不倫などの話です。
誰かが自分の身に起きた不幸で悩んでいる。それを本人が投稿すれば悩み相談になるし、周囲が陰でそれを話題にすれば噂(うわさ)話になります。だから人生相談を好きな読者が多いのは、人間が他人の噂話が好きなのと同じ・・・
・・・ただ、最近のネット社会がスタイルをだいぶ変化させていると思っています。
多くの一般読者が匿名で投稿をいくらでも書けるタイプの相談、例えばyahoo!知恵袋や、意見交換系の掲示板などを見ると、誰かの相談に対し意見、感想が驚くほどたくさん連なっています。自分の経験を長々と詳細に書いて答える人もいます。
新聞や雑誌の昔ながらの人生相談は回答者が1人。一般の読者が納得せず、「この回答は変じゃない?」と不満を抱いても、それを表明する方法はなかった。きっと「突っ込みを入れたい」けどできないという不満が蓄積されており、ネット社会になって、その「回答欲」が解放されてしまったのでしょうか。
今は「相談したい」よりも「回答したい」人のほうが多い時代なのかもしれないですね・・・

遅い新幹線

2018年1月31日   岡本全勝

今日、福島から東京への新幹線、車窓には雪で真っ白な山野が広がっていました。昨日の福島は、最低気温マイナス7度でした。

ところで、福島から新幹線で東京に帰って来るときに、感じていました。大宮を過ぎると、あまり早くないのです。並行して走っている在来線と、さほど変わらない早さです。
「前の列車が詰まっているのかな」とくらいにしか、思っていませんでした。でも、定刻通りに東京駅に到着します。時刻表で調べたら、東京から大宮まで新幹線だと25分、在来線で早いものだと31分です。
理由を教えてもらいました。東北新幹線は、建設時の経緯で、東京と大宮の間を時速110キロで走っているのです。
どおりで遅いのですね。

日本の大学の特殊性「家元制度」

2018年1月24日   岡本全勝

1月15日の日経新聞、黒川清・政策研究大学院大学名誉教授の「独立した研究者、育成を」から。日本の科学技術研究が凋落する理由について。
・・・欧米やアジアの有力大学は、そうした変化に対応して魅力ある研究の場を整え、世界中から意欲ある教員、若者を引き付けている。他方、日本の大学は旧態依然、かつての“成功モデル”の維持にきゅうきゅうとするのみである。凋落は日本の大学が持つ構造的、歴史的な要因に起因するといわざるをえない。

明治政府は、ドイツの大学の講座制を採用して日本の高等教育の構築を図った。教育と研究を一体的に進める講座制によって、新国家の学術レベルは飛躍的に向上した。
だが、この制度は講座の主である教授を頂点とする権威主義的なヒエラルキーを形成し、自由闊達な研究の足かせとなる問題をはらんでいた。そこでドイツは同じ大学・講座の助教授は、そこの教授になれない制度を取り入れていた。大学でのキャリアを求めるならば独立した研究者として新天地で羽ばたくという哲学を持っていたからだ。
ところが、日本はドイツの大学の「形」は取り入れたものの、独立した個人としての研究者を目指すという「精神」の方は置き去りにした。

その結果、日本の大学現場には旧態依然とした“家元制度”が大手を振ってまかり通ることになった。教授という権威の下で、学生や若手研究者らは全員がその徒弟であり、教授の手足となって研究し教授の共著者として論文を書く。研究は教授の下請けの域を出ず、多くは教授の業績となる。大学には東大を頂点としたヒエラルキーが存在し、大学院重点化で狭いタコツボがさらに狭く窮屈になった。徹底したタテ社会の論理である。
タテ社会の頂点に立つ教授の下では、ポスドクで海外留学に出ても、それは教授のツテであり、2~3年で帰国するひも付き留学にすぎない。弟子たちは独立した研究者として独創的な研究を競うのではなく、教授の跡目争いに没頭する。官庁や企業と同様に大学の世界でも、今いる組織を飛び出して活躍することは社会的リスクが極めて高い。これでは斬新な研究が生まれるはずがない。

西洋に咲いた近代の科学研究には、次世代の独立した研究者を育てるのは教授の責任という哲学がある。教授の役割は自分の後継者、内弟子の育成ではない。次世代を切り開く独立した研究者を育てることなのだ。指導者は育成したPhDで評価されるといっても間違いではない。ここが日本と欧米の一流大学の基本的な違いだ・・・