カテゴリーアーカイブ:社会の見方

ケインズ予測の的中と外れ

2018年5月12日   岡本全勝

4月23日の読売新聞に、吉川洋・立正大学教授が「豊かな21世紀 ケインズ予測現実と落差」を書いておられました。

・・・1930年、経済学者ジョン・メイナード・ケインズは100年後の世界がどんな社会になるか予測した。大不況の最中、多くの人は世界経済の将来に悲観的だったが、ケインズは「われわれの孫たちの経済的可能性」と題するエッセーで、21世紀前半の世界に楽観的な見通しを述べた。
予測のうち、一つは当たり、一つは外れた。
当時、最も豊かな国だったイギリスでも、100年後には生活水準がさらに4倍ないし8倍まで上昇するだろう。21世紀、人々は信じられないほど豊かになっているに違いない―。この見通しは当たった・・・

では、外れたのは何か。
・・・100年後には、人々の暮らしは想像もつかないほど豊かになっているから、およそ「経済」の問題はすべて解消してしまうだろう。人々は週5日、1日3時間働けば十分になっている。作り出すモノはあり余っているから、人々は豊かさの中で倦怠に悩まなければならない。何かを手にしたいという欲望を基にした経済の問題は消え去っている。
二つ目の予想完全に外れた・・・
この項続く。

小峰隆夫教授「なぜ経済出動は繰り返されるのか」

2018年5月9日   岡本全勝

4月28日の日経新聞「経済論壇から」で、小峰 隆夫・大正大学教授の「なぜ財政出動は繰 り返されるのか」(週刊東洋経済4月28日号)が紹介されていました。詳しくは原文をお読みください。

・・・私が長い間抱き続けている疑問の一つは、日本ではなぜこれほど経済対策 (景気対策)と称する財政出動が繰り返されるのかということだ。
ざっと計算したところ、1990年以降、昨年までの経済対策の事業規模合計は優に 400兆円を超える。これには金融措置など水増し的な部分も含まれており、すべ て政府の歳出増加になったわけではないが、「それだけのおカネを使えばもっといろいろなことができたのではないか」「これがなければ現在の財政赤字はそうとう減っていたはずだ」と考えてしまう。政府はかなり巨額の機会費用を払って経済対策を繰り返してきたといえる。
先進諸国の中で、これほど頻繁に、かつ巨額の経済対策を実行してきた国はない・・・

その理由の一つとして、「お上依存型」の「社会主義的経済観」が残っているのではないかと指摘しておられます。
経済がうまくいかないと、「政府が対策を講じるべきだ」と期待 し、「政府は政策によって経済をコントロールできる度合いが大きい」と考えすぎているのではないか。
また、経済学者の意見が反映されていないのではないか、とも。
正統的な経済学では、財政で景気変動を平準化するのは非常時に限り、平時には金融政策でこれを行うべきだと考える。財政政策で成長率を引き上げることはできるが、その効果は一時的なものにとどまるから、持続的な成長は実現できない。

ゲーム依存症という病気

2018年5月8日   岡本全勝

5月5日の朝日新聞に、「学校行かずゲーム16時間」(1面)、「ゲーム依存症は病気」(2面)という、衝撃的な記事が載っていました。詳しくは本文を読んでいただくとして。
健康な日常生活や家族関係が壊れています。中高生の52万人が依存症の疑いがあります。小中高生の7割以上がネットゲームをしています。
ゲーム以外の利用も含めて、ネットの利用時間は159分です。平日に3時間以上利用している子供が、37%もいます。勉強が進まないだけでなく、睡眠不足になります。

依存症の問題として、昼夜逆転、欠席・欠勤、ものを壊す、食事をしない、家族への暴力、お金を盗むなどが上げられています。
お酒やたばこ、ギャンブルと同様に、未熟な子供が依存症になり、身を崩します。いえ、スマホの方が子供は手にしやすいので、こちらの方がより危険です。子供にこれらの機器を与えるのは、大きな問題です。

公文書館の将来

2018年5月4日   岡本全勝

公文書館に行って、考えました。多くの人は、公文書や文書と聞くと、紙の書類を思い浮かべるでしょう。ハンムラビ法典やロゼッタストーンのように、石に刻まれた文書もありますが。

公文書の電子化が進んでいます。まずは、紙の文書を電子化しています。次に来るのは、文書そのものが、電子媒体でつくられる時代です。すると、紙はありません。
利用者が「公文書館に行って、お目当ての書類を申請して、書類を出してもらう」という風景はなくなり、自宅でパソコンで検索し、お目当ての書類をダウンロードすることになるのでしょう。
公文書館も、古い書類が棚に並んでいるという風景でなく、コンピュータが静かに動いている風景になるのでしょうね。

『文化史とは何か』

2018年4月29日   岡本全勝

ピーター・バーク著『文化史とは何か』(邦訳改訂版2010年、法政大学出版局)を読み終えました。先日紹介した、長谷川貴彦著『現代歴史学への展望』に触発されてです。
欧米の歴史学(すなわち、ほぼ世界の歴史学の主流)、特に文化史が、どのように変化してきたかが、よくわかりました。
バークは、次のように、その変遷を整理します。
古典的文化史(ブルクハルトやホイジンガ)、社会学(ヴェーバー)から美術史(象徴やゴシック建築研究)へ、社会と文化への関心、民衆の発見。

エリート(芸術)文化研究から出発した文化史が、社会学を踏まえ、民衆を含めた文化史(時代史)へと変化したと、私は理解しました。
そのような視点からの、日本史、日本社会史、精神史、文化史は、書かれないでしょうか。イギリス社会史は、いくつか邦訳があります。