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社会

社会とは何か、社会学とは何か

突然気が向いて、盛山和夫『社会学とは何か―意味世界への探求』(2011年、ミネルヴァ書房)を読みました。制度や秩序とは何か、社会科学での客観性とは何か。長年悩んでいました。その回答が書かれているのではないかと思ったのです。この本はわかりやすく、かなり答をもらいました。
先生はあとがきに、次のような趣旨のことを書いておられます。
大学の卒業論文で「階級とは何か」に取り組んだが、挫折に終わった。「階級概念をどう定義すべきか」という問いが解けなかっただけでなく、解ける見通しさえ立たなかった。
・・今では、この挫折の理由は明らかである。なんといっても最大の理由は、「階級概念をどう定義すべきか」という問いは、「階級」が客観的に実在しているという前提のもとではじめて意味をもつ問いであるのに対して、実際のところ、「階級」はけっして通常の意味で客観的な実在ではないということである。今ふうにいえば、「階級」とは構築されたものなのだ・・
そして、「社会制度とは、経験的な実在ではなくて理念的な実在である」という考えにいたった。

社会学の対象となるもの(社会)は、各人の主観的な意味世界の了解から成り立っていること。そして、社会学における客観性についての考え方が、著名な学者の歴史をたどることで、わかりやすく説明されていました。社会学が問題を立てる段階で、単に「経験的」でなく「規範的」であることも。

もっとも欲を言えば、では次に社会と社会学はどの方向に、あるいはどのような方法で進めばよいかは、書かれていません。はしがきには、次のようなことも書かれています。
・・19世紀の半ばに創設され、20世紀の初めに確立した社会学は、その時代の先進産業社会の課題を引き受ける形で発展してきた。近代化や産業化、あるいは階級や社会変動が社会学の大きなテーマであったのはそのためである。
しかし、1970年代くらいを境に、現代社会の課題に重要な変化が起こった。貧困や階級の問題が大きく後退し、そのかわりに、環境、ジェンダー、マイノリティ文化などの問題が新しく重大な関心事となっていった。それに加えて、多くの先進社会では、少子高齢化、社会保障制度の持続可能性、若年労働者の失業など、それまでの産業化のプロセスのなかでは存在しなかったかあるいは一次的にしか存在しなかったような問題に、恒常的に直面することになったのである。
こうした時代の変化をうけて、社会学の研究テーマは多様化し、分散し、拡散していった。それは一方では新しく、革新的で、創造的な探求の広範な展開を意味していた。しかし他方では、社会学のアイデンティティの拡散であり、伝統的な社会学とのつながりの希薄化であり、学問的共同性の弱まりを意味することになってしまったのである・・
・・1970年代以降の社会学の混迷には、それまで無意識のうちに前提とされていた「社会」の観念が壊れてきたことが無視できない背景としてある。端的に言って、「客観的に実在する社会」というものが前提されていたのであるが、その前提が崩れてしまった。それによって、「客観的に実在する社会」を対象とする経験科学としての「社会学」という構図が解体してしまったのである・・

その関連で言えば、東大出版会PR誌『UP』5月号に、盛山先生が「近代、理論、そして多元性―戦後日本社会学の世代論的素描」を書いておられました。これは東大出版会60年を記念して、各学問分野で「60年を読む」というシリーズの一つです。4月号は地球科学について、木村学先生の「回顧 地球科学革命の世紀」でした。プレートテクトニクス理論が、簡単には受け入れられなかった歴史が紹介されていました。

日本社会型雇用とリスク意識

リスク論を勉強する過程で、山岸俊男、メアリー・ブリントン著『リスクに背を向ける日本人』(2010年、講談社現代新書)が、参考になりました。いくつか紹介します(この仕事に就く前に読んで、放ってありました。忘れないように書いておきます)。

雇用の安心には二つの形がある。一つは終身雇用型、もう一つは再雇用のチャンスがあること。すなわち、日本での雇用の安心は、企業に就職し定年まで雇用が保障されることで、雇用の安定とは、首を切らないこと。雇用不安は非正規雇用が増えるからで、正規雇用にして簡単に首を切れないようにすることが安心。他方、北欧は、会社にしがみつくのではなく、失業者に訓練の機会を与えて、より生産性の高い産業で再雇用されるように支援するやり方。

アメリカの社会学者マーク・グラノヴェッター教授が唱えた「ウイークタイズ(弱い結びつき)」。家族や親しい友人などに代表されるストロングタイズ(強い結びつき)から得られる情報は、つながっている人たちの輪が限られているので、すでに自分も知っている情報と変わり映えがしない。しかし、それほど親しくない知人からは、自分が知らない情報を得られる可能性が高い。

「空気が読めない」=KYという言葉が流行った。これは、自分の意見を発信することで、まわりの人たちを変えていこうという発想がないことを意味いしている。まわりの人たちを変えていこうというんじゃなく、まわりの人たちから受け入れられているかどうかにだけに目が向いてしまっている。場の空気を乱さないよう、まわりの人たちが何を考えているのかを予想して、そうした考えに自分を合わせるためのコミュニケーションに気をとられてしまう。
終身雇用制が確立している日本では、今の会社を首になった人は、別の会社では簡単に雇ってもらえない。だから、今の会社の仲間や上役から嫌われないようにするのが、無難な行動原理。とりあえずそういう行動をとると、本当に欲しいものを手に入れることができなくなるコストがあるが、まわりの人からつまはじきにされるというもっと大きなコストは避けることができる。アメリカ人にとっては、今まわりにいる人に嫌われても、別のチャンスがあるから、自分の意見を主張する。
アメリカにも「空気の支配」はある。ケネディ大統領の最初で最大の失敗であるキューバのピッグス湾上陸作戦。CIAの甘い見通しをもとにした強硬意見がその場の「空気」を作りだし、冷静な判断が抑えられてしまった。

日常生活での時間の意味

夜、布団に入ってしばらく本を読むのが、長年の習慣で、楽しみです。しかし、この仕事に就いてからは、すぐにまぶたが閉じて、1冊の本をなかなか読み終えることができません。
そのような中でも最近読んだ、木村敏『時間と自己』(1982年、中公新書)に、次のような話が載っていて、なるほどと思いました。先生は著名な精神病理学者です。分裂病者やうつ病者にとっての「時間」から、時間の意味を分析した本です。

・・デジタル時計は、一目で時間が読みとれるから、アナログ時計に比べて格段に便利だろうというのが予想だった。ところが、何となく不便なのである。頭の中でしばらくその時間をぼんやり遊ばせておかないことには、時間の実感が生まれてこないのである。この独特の違和感の実質をよく考えてみると、そこから次のようなことがわかってくる。
われわれが日常、時計を用いて時間を読み取る場合、現在の正確な時刻それ自体を知りたいと思っているのではなくて、ある定められた時刻までに、まだどれだけの時間が残されているのか、あるいは逆にある定められた時刻から、もうどれだけの時間が過ぎたのかを知りたいのである。朝の出勤までにあと何分残っているか・・。
デジタル時計だと現在の時刻しか表示されないから、あらかじめ決められている時刻を示す数値のとのあいだで、引き算をしなくてはならない。アナログ時計の場合だと、二本の針によってそのつど作られる扇形の空間的な形状とその変化から、この「まだどれだけ」と「もうどれだけ」とを、いわば直感的に見て取ることができる。
この「まだどれだけ」と「もうどれだけ」の時間感覚は、二つの数値のあいだの演算によって与えられる時間の量にはけっして還元しつくされない、もっと生命的で切実な心の動きである。たとえば会社に遅刻しそうだとか・・

私の身の回りの時計は、すべてアナログです。出張してホテルで泊まった時、夜中に目が覚めてのベッドの近くの時計を見ると、デジタルの時は困りますね。あと何時間寝ることができるかを知りたいのに、寝ぼけた頭で引き算をしなければならないのです。
次のようなことも、書いておられます(これも要約してあります)。

・・目覚まし時計のような完全に私的な時計による現在時刻の告示でも、結局は学校や職場などの公共時間やそれに基づく統一的な行動に自己の時間や行動を統合するという目的をもっている。共同体の制度的な時間や行動よりも自己の固有の時間や行動を優先させる人にとっては、目覚まし時計の音は有害無益な騒音以外のなにものでもないだろう。しかしそのような人でも、旅行に出かけようと思えば時刻表に載っている列車の発車時刻やそれを知らせるベルの音を無視することはできない・・。
われわれの大多数が外出する時に時計を忘れずにもって出かけ、一日に何回となくそれに眼をやるということの意味も、もう一度考え直さなくてはいけなくなる。時計を見て、もうどれだけの時間が過ぎたとか、まだどれだけの時間が時間が残っているとかいうことが切実な問題になるのは、実は時計の示す時間が私的で個人的な時間であるよりも、公共的な共同体時間だからなのではないのか。われわれが時計を見なければならないのは、人間が社会的な動物であって、共同体の制度を内面化することによってしか、個人の生活をいとなむことができないからなのではあるまいか・・

近隣諸国に学ぶ

1日の読売新聞文化欄に、『東アジア人文書100』(2011年、みすず書房)が取り上げられていました。日本、中国、韓国、台湾、香港の編集者が、それぞれの国や地域の優れた人文書を選び、紹介するガイドブックです。
江戸時代まで日本は、中国や朝鮮から、たくさんの文化を学びました。漢文、漢詩、書道、中国の古典と歴史、特に論語は、日本人の素養でした。明治以来、日本は「脱亜入欧」、西欧にお手本を乗り換えました。そして、近隣諸国の事情には疎くなりました。私たちは、西欧の指導者や学者、芸能人の名前を何人も挙げることはできますが、アジアの近現代の人の名前は一部の人を除いて知りません。
東アジア各国が経済発展を遂げ、日本との経済社会的な格差が縮まりました。ようやく、日本がアジアを「同じ平面で」見るようになった、ということでしょう。韓国ドラマや芸能人の日本での流行がよい例ですが、小説などはまだのようです。
先日紹介した「政権交代の先進国」(2010年12月13日の記事)も、西欧を見なくても、近くに先例があるということでした。昨日、在東京韓国大使館の知り合いの外交官と、お話しする機会がありました。こんなに近いのに、私には知らないことが多いです。社会の仕組みについて、いろいろ教えてもらいました。文化的背景の違う西欧より、ずっと勉強になると思いました。

街の姿、日本らしさとは

22日の日経新聞夕刊に、陣内秀信教授のインタビュー、「都市の華やぎ、本物か。街の姿は人の営み」が載っていました。
・・東京では高層ビルの建設が今も続く。都市の活力は健在なのか。陣内さんは懐疑的である・・
「製造業がダメなら次は金融や不動産業だというやり方では、街は魅力的にはなりません。なんだか外国のブランドばかり目立つようになったという印象です」
「日本は明治維新以降、欧米に学び、追い越すことに傾注してきました。戦後はものすごいパワーで復興し、東京オリンピックや大阪万博で都市を改造し、右肩上がりの成長を成し遂げました。しかし今どうしてよいかわからず、右往左往しているのです」
「40年近く付き合ってきて、イタリアはしたたかだなと思いますね。都市の魅力とは何かという概念がローマの時代からあるんです。絶えず危機意識を持って、都市の在り方を着々と変えてきました。戦後、ミラノやトリノなどの大都市を中心に成長しましたが、1973年の石油ショックが転機でした。中規模の都市が見直されて主役になったのです。優れたファッションやデザインによって高付加価値の製品を生む家族経営が各地域でのしてきて、80年代の成長を支えました」
確かに、街の姿が、その国と地域の「生き様」を表しているのでしょうね。日本は、かつての日本の姿を脱ぎ、欧米化することで発展してきました。そして日本らしさは、どんどん消えつつあります。私は「新地方自治入門」で、絵はがきになる街の風景がないことを指摘しました。京都タワーの上から写真を撮っても、もう京都らしい風景はないのです。日本を紹介する写真は、お寺か神社のような点でしかないのです。
先日、中国の経済発展は素晴らしいが、中国らしさはどこにあるのかと書きました(2010年12月27日の記事)。中国でも同じことを感じました。和魂洋才といった言葉も、聞かれなくなりました。畳の暮らしや和食など、日本らしさが残っている分野もありますが。