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「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」抄1

2026年2月1日   岡本全勝

朝日新聞「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」」 2020年10月11日配信が、ウェッブで見ることができなくなりました。そこで、ここに抄録しておきます。

発足したての菅政権についての多くのニュースが新聞を埋めていた9月19日、紙面の片隅にひっそりと小さな記事が載った。
福島復興再生総局事務局長の岡本全勝氏(65)が退任――。2011年以来9年半、東日本大震災の復興に取り組んできた末のことだった。
岡本氏は1978年に旧自治省に入省。地方財政や交付税の仕事に携わり、省庁再編で総務省となってからも順調にキャリアを積み上げてきた。著書も多く、2002年からは自身のウェブサイトを作ってまめに更新。公務員の仕事の内容や、業務で自分の役割を楽しくかつうまく果たすこつなどを発信し続けた。

一種の「名物官僚」として霞が関・永田町かいわいでは知られていた岡本氏だったが、名が世間に広まったのは麻生太郎首相の時に、筆頭格の秘書官に起用されたからだ。通常、首相秘書官は財務、経産、外務、警察の各省庁から起用される。総務省から、しかも筆頭格でというのは異例だった。
麻生氏が首相になる前に総務相だった時、岡本氏は国会担当の総務課長だった。国会答弁がある日には朝から打ち合わせで、担当課長が麻生氏に説明し、岡本氏も同席した。総務省の業務は多岐にわたるから、説明も長くなる。
そこで岡本氏が進行役をして「これは、ここがポイントです」「これは、この通りに読んでください」「この答えでは質問している議員は納得しないでしょうから、次のように答えてください」などとさばいた。そこから麻生氏の信頼を得て、さまざまな相談もされるようになった。

首相秘書官に就任した岡本氏は、麻生政権を官邸の中枢で支えた。イタリアの高級帽子ボルサリーノを愛用する姿は目をひき、異例の起用だったこともあってか、「官邸の怪人」などと揶揄されもした。ちなみに今は麻生氏のトレードマークがボルサリーノとなっているが、岡本氏によると、彼のほうが麻生氏よりも先なのだという。
麻生政権時代、首相がイタリア・ローマに外遊したことがあった。もちろん岡本氏も随行した。宿泊したホテルの隣がボルサリーノの店だった。仕事を終えた岡本氏が買い物に行くと、「総理がついてこられた」。それぞれ自分の気に入った帽子を購入したのだとか。

話を元に戻す。ご存じのように麻生首相は09年の衆院選で敗れ、政権を民主党に明け渡す。岡本氏も消防大学校の校長に転任した。さらには自治大学校の校長となる。
岡本氏が霞が関で政権中枢にかかわるような仕事をすることはもうないと思われた。が、人生何があるかわからない。再び出番がやってきた。東日本大震災が起きたからだった。
抄2に続く)

胃の内視鏡体験記

2026年1月10日   岡本全勝

先日、胃の内視鏡検査を受けました。世間では珍しくないのですが、私にとっては珍しいことなので、書いておきます。

20年以上前に、口からの胃カメラを飲んだことがあります。その時の苦しかった思いが残っているので、毎年の定期検診でも、胃の内視鏡は避けて、バリウム検査にとどめていました。去年、検査機関を変えたら、「要精密検査」との脅しを受けました。かかりつけ医に相談したら、「大丈夫でしょう」とのことで、やり過ごしました。ピロリ菌は、だいぶ前に除去しましたし。

年末にたくさん食べたら、胃のあたりに違和感を感じました。それで意を決して、胃の内視鏡検査を受けてみることにしました。何もなければ安心できます。将来、「あのときに受けていたら、初期で見つかっていたのに」と後悔しなくてすみます。
その先生は、内視鏡の専門家でもあるのです。「鼻から通すと、苦しくないですよ」とおっしゃいます。知人たちも、「バリウム検査ではよくわからないから、内視鏡を飲んでいる。苦しくない」と言っていました。

で、受けてみました。最初に(内視鏡を入れる前に道をつけるために)管を通すときと、内視鏡が喉を通るときに、少し痛みと吐き気に近いものを感じました。でも、それだけでした。
診療台で横になり内視鏡を鼻から入れたまま、画像を見ながら、先生の説明を受けました。便利なものですね。自分の胃の中がどうなっているのか、実況中継で見えるのです。カメラをぐるぐると回して、胃の中をいろんな角度から見せてくださいます。素人ですが、きれいなものでした。十二指腸も、食道も、喉も、まったく異常なし。これで安心できます。

検査が終わってから、内視鏡を見せてもらいました。先生が操作する手元の機械はごつくて複雑でしたが、飲み込む部分は細い管でした。こんな管が柔らかく曲がりながら、喉を通っていったのですね。インターネットで見つけた「内視鏡の仕組み」、わかりやすいです。進歩しています。

1月2日の富士山

2026年1月2日   岡本全勝

昨日1日は、雲がかかって見えなかった、富士宮市からの富士山です。今日2日は、よく見えたとのことです。

令和8年元旦

2026年1月1日   岡本全勝

明けまして、おめでとうございます。皆さん、よいお年をお迎えのことと存じます。東京は少し雲がありましたが、穏やかな朝でした。
今年は暦の関係で、9連休の方も多いのではないでしょうか。ゆっくりできますね。それとも、家にいる方が忙しいでしょうか。医療、交通、流通、通信、電気・ガス・水道など、休まずに社会を支えてくださっている方がおられます。感謝します。避難所におられる方は、早く生活が取り戻せることを期待します。

私は今日が誕生日。71歳になりました。娘家族が来て賑やかなお正月です。
たくさんの年賀状をいただきました。こちらから出していない方も多く、申し訳ありません。このホームページで、ご挨拶とします。今年が良い年でありますように。
写真は、実家の門松です。

次は、恒例の知人が送ってくれた富士山の写真です。横浜からは朝焼けできれいな姿です。富士宮市は雲がかかって見えないので、暮れに撮った写真を送ってくれました。

令和7年大晦日

2025年12月31日   岡本全勝

今日は12月31日。令和7年も終わりです。皆さんにとって、今年はどのような年だったでしょうか。
世間では、各地での災害や火災、熊の出没と、いろんなことが起きました。平穏な日々は、なかなか実現しません。21世紀になって、早くも四半世紀が過ぎます。その経験と反省の上に、未来を開かなければなりません。ようやく経済指標が好転しつつあります。日本が元気になるように、頑張ってほしいです。

年末は何かと気ぜわしいのですが、今年は少々余裕があります。
年内締め切りの原稿2つは、右筆の助けを借りて書き上げ、早々と編集長に渡しました。締め切りに遅れたことがないのが、自慢です。ほかに仕掛品の原稿もあるのですが、締め切りまで余裕があります。1月に引き受けている講演など4つのうち、2つの資料もほぼ完成させました。
年賀状は枚数を大幅削減し、投函しました。たくさんいただくのですが、申し訳ありません。小さな松飾りもつけました。
余裕の時間に、このホームページの記事(予定稿)をたくさん書きました。新聞記事の紹介が貯まっているので、それを処理するためです。かなり進みました。
本の片付けは終わらず、越年します。まあ、気長にやりましょう。

この大晦日に良いことがありました。孫を自転車の後ろに乗せて公園に行ったのですが、途中で寝てしまい、ひきかえしました。帰ってきたら、孫がかぶっていた帽子がありません。彼のお気に入りの帽子なので、再度同じ道を自転車で探しに行ったのですが、見つからず。あきらめかけていたら、歩道の横の植え込みの上に、ありました。見つけた人が、おいてくださったのですね。ありがとうございます。

我が家は夫婦とも元気、娘息子家族も元気で、年を越すことができそうです。何と言っても、健康と安心ですよね。
今年も、蕎麦打ち名人のおいしいお蕎麦をいただきながら、年を越します。ありがたいことです。
毎年同じようなことを書いていますが、それが良いのですよね。