カテゴリーアーカイブ:生き様

日々の暮らし

2004年9月19日   岡本全勝

18日は、富山県城端町麦や祭り行ってきました。10年前、県の総務部長だった時に祭りに行きました。その時、河合県会議員(現参議院議員)、佐藤商工部長(現商工中金理事)、川田町長と酔いに任せ、みんなで「10年後に会いましょう」と墨書しました(らしいです)。すっかり忘れていましたが、「証文」が残っていて・・。
富山では、八尾町の「おわら風の盆」が有名ですが、城端の「麦や」と「庵うた」もいい祭りです。伝統を若い人たちが受け継いでいます。伝統的な踊りだけでなく、「よさこいソーラン」的な踊りも加え、外からの若い人たちを交えて、さらにパワーアップしていました。町は、中心部を通る国道をバイパスにせず、拡幅しました。多くの家が立ち退きや建て替えを余儀なくされ、大変だったのですが、その道路を利用して街の角かどで踊りが行われるのです。これも成功の秘訣でしょう。(9月19日)
その際、北日本新聞松井政治部長のインタビューを受けました。19日の朝刊に、「元県総務部長の岡本全勝総務省大臣官房総務課長が十八日来県し、国・地方財政の三位一体改革で、地方六団体がまとめた国庫補助負担金の削減案について『官僚側の抵抗は根強いが、有効な代案を出すのは難しいだろう。最終的に、地方の削減案がほぼ政府の改革案として通るのではないか』との見通しを示した。・・・『改革の先には、地方の責任や厳しい財政運営が待っていることを自覚することも必要』と指摘した。」と載せてもらいました。全文はこちら

ヨーロッパで考えたこと2

2004年9月14日   岡本全勝
【異質なものとの共存】
もう一つ、ヨーロッパで考えたのは、異質なものとの共存です。それは、次のようなことです。
ドイツでもパリでも、街でイスラーム系と思われる人をたくさん見かけました。もちろん黒人を始め非ヨーロッパ系の人もです。特にパリでは、バスがそのような人たちが集住している地区を通ってくれました。
白人であっても、東欧・南欧と思われる人、すなわち典型的ドイツ人やフランス人でない人も多そうです。私には、明確には区別はつきませんが。
ホテルで洗濯物を取りに来てもらったら、スカーフをかぶった中東系の若い女性でした(私と彼女で、英語でやりとりするのです。もっとも、アメリカ人としゃべるよりは通じたかも)。
フランスは総人口が6、000万人、うちモスリムが500万人、1割近くと推定されています。パリでの密度はもっと大きいでしょう。
パリには昔から、いろんな国の人がいます。ヨーロッパだけでなく、かつて植民地であったアフリカや東南アジアからの人たちもです。数多くの外国人を受け入れてきました。もちろん日本人の画家も。しかし、なぜモスリム(イスラム教徒)だけが「問題視」されるのでしょうか。そして、なぜ近年問題になったのでしょうか。
帰国して本屋で、内藤正典著「ヨーロッパとイスラム-共生は可能か」(岩波新書、2004年)を見つけました。そこに、切れ味よく経緯と分析が書かれています。
私の理解では、次のようになります。
ヨーロッパは、ヨーロッパ『文明』を受け入れるという条件の下で、外国人を受け入れてきました。その文明とは、基本的人権の尊重であり、政教分離です。それを受け入れれば、たとえ『文化』が違っても、受け入れてきたのです。
中華街ができても、日本のラーメン屋ができても。その点、フランスに移住した外国人は、東欧系であれ、アフリカ系であれ、アジア系であれ、ヨーロッパ『文明』に帰依したのです。
しかし、イスラームは政教分離ではなく、近代ヨーロッパ『文明』の「啓蒙主義」と相容れないものがあるのです。
さてこの点、日本はどうでしょうか。日本は、ヨーロッパ文明圏に入りましたが、日本文化と異なる文化を持った人たちが入ってくることに、まだ抵抗が強いようです。文明の違いの前に、異文化の人たちを受け入れる努力は少ないようです。そして、彼の地のような議論は、あまりなされていません。
もちろん、ヨーロッパ諸国は、地続きであることと、植民地支配の「負の遺産」を抱えているという背景もあります。でも、それを言うなら、日本も植民地支配の過去があります。また、ボートピープルという難民が来たこともありますし、北朝鮮からの「脱北者」受け入れもあります。
「花の都パリ」「国際都市ロンドン」にあこがれて、日本からも多くの人が渡りました。それを、彼の地・彼の人たちは受け入れてくれたのです。東京が「国際都市」を標榜するのなら、あるいは諸外国の人から「あこがれの地」となるためには、異文化の人を受け入れる雰囲気が必要でしょう。
「パリやロンドン、ニューヨークには行くが、外国人は受け入れない」では、尊敬されませんよね。
さて、もう一つ、ヨーロッパでの異質な文化受け入れの努力についても、述べておきましょう。先に紹介した、羽場久み子著「拡大ヨーロッパの挑戦」には、25もの国が統合される際の「苦しみ」も書かれています。
私たちから見ると、ヨーロッパはキリスト教という共通の歴史を持った「一体感あるまとまり」と思えますが、内実はそうではありません。キリスト教だって、カトリック、プロテスタント、ギリシャ正教と異なります。民族も言葉も、そして文化もかなり違います。
そして、この半世紀、西側資本主義国と東側共産主義国とに別れ、対立してきたのです。それは、自由主義経済の定着発展度合いの違いから、民主主義や自由主義といった政治の仕組みと運営の違いなども違います(新しい国をつくる努力については、別に書く予定です)。
さらに、経済力が違います。1人あたりGDPでは、EU平均の半分程度でしかない国もあるのです。
これらの違いを前提として統合するには、かなりの努力が必要です。均質化するのでなく、「多様性を持ったままの統合」です。

ヨーロッパで考えたこと

2004年9月13日   岡本全勝
欧州随行記その2の付録です。
【できないと思われていることを行う】
ヨーロッパ旅行中に、高橋進著「歴史としてのドイツ統一-指導者たちはどう動いたか」(岩波書店、1999年)を読みました。買って「積ん読」のままだったのですが、ちょうど良い機会だと思って、鞄に入れていきました。
筆者も書いておられます。「戦後のドイツ外交を研究してきた者として、ドイツの統一は、私が生きている間はありえないというのが、染みついた公理であり・・」。私も、そう思っていました。「『ドイツ統一』と関係者は言ってはいるが、ベルリンの壁が崩れることはない。東西ドイツが統一されることはない」と。
1989年当時は、ニュースを見て、ただ驚いていたただけです。それは、私の中の「公理」が現実を認めたくなかった、ということでもありましょう。
時間が経つと、「政治というものが社会を動かすのだ」、「政治家が歴史を作るのだ」という観点から、気になっていました。人間が歴史を作るという観点からは、キッシンジャー著「外交」(上下、1996年、日本経済新聞社)やニクソン著「わが生涯の戦い」(1991年、文藝春秋)を読んで、すばらしいと感じていました。これは、拙著「明るい係長講座」でも、少し触れました。
確かに、ベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一には、東ドイツを始めとする東欧諸国の経済停滞がその基盤にあります。しかし、それはすべてが歴史的必然ではなく、人為による部分が大きいのです。
東ドイツ指導者にとっては、選択肢は限られていました。しかし、これまで繰り返されたソ連による軍事弾圧の恐れの中で、これまで繰り返した武力鎮圧を取らず、解放を決断しました。一方、西ドイツ指導者は、難民受け入れ決断から東ドイツ「回収」まで、構想を立て、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連と交渉し、実行していったのです。
あわせてこの機会に、羽場久み子「拡大ヨーロッパの挑戦-アメリカに並ぶ多元的パワーとなるか」(中公新書、2004年。久み子の「み」は難しい字です。)を、読み終えました。
ヨーロッパ連合(EU)は、2004年5月に新たに10か国を加え、25か国もの連合体になりました。しかも、ポーランドやハンガリーといった東欧諸国が入ったのです。人口は4.5億人、GDPは9兆ドルです。アメリカは2.9億人、10.5兆ドルですから、まさにアメリカと並ぶ「大国」です。ちなみに、日本は1.3億人、4兆ドルです。
さらに、余り知られていませんが、北大西洋条約機構(NATO)も26か国に拡大しています。そこには、ルーマニアやブルガリアも含まれています。かつて、NATOは西側諸国の軍事同盟であり、それに対抗して東側諸国はワルシャワ条約機構を構成していました。それを思うと、考えられない変化です。
(また、新しくEUに加盟する旧社会主義国は、参加のための条件を満たすためにも、自由主義と民主主義の創設と運用に苦労しています。)
ひるがえって、アジアではどうでしょうか。歴史や文化がヨーロッパと違うので、そう簡単には「連合」にはいかないでしょう。しかし、私が比較したいのは、そのような構想を立て、努力しているかです。そして、日本がどのように貢献しているかです。
私は、政治とは「政治家と国民の努力過程」であると考えています。放っておいても平和で豊かという国や地域もあるでしょう。しかしそれは、政治という観点から採点するなら、評価は低いでしょう。
たまたま戦争がなかったからといって、政治家は評価されません。戦争を回避する努力をしたかどうかで、評価されるのです。
ドイツ統一とEU拡大。そこにあるのは、それまではみんなが「できない」と思っていたことを実現することです。そこには、構想し・関係者に手を打ち・世論を誘導し・決断し・実行する、ということが必要です。
それは、人為です。それが、政治でしょう。しかも、「放っておけばそれはそれで済むことをあえて変える」というすごさです。
「自然となる」でなく「人為でそうする」です。これに比べ、日本の政治には「構想・実行」という要素が少ないと思いませんか。日本の政治にそれが欠けているのは、歴史観・文化の違いがあるのかもしれません。そして、島国でかつ単一文化・単一民族に近かったことも、その基底にあるのでしょう。
もっとも、明治国家をつくった人たちは、封建国家を近代国家につくりあげたのですから、日本にもそういう経験はあるのです。
しかし、戦後半世紀、国際政治では、平和憲法とアメリカの傘の下、国際貢献(社会づきあい)をしなかったこと。国内政治では、経済成長の上がりを配分するだけで済んだこと。この二つで、深刻な「政治」をしなくて済んだのです。こうして、ますます日本の政治は、「為す」でなく「なる」になってしまいました(拙著「新地方自治入門」p295以下参照)。

日々の暮らし

2004年9月6日   岡本全勝

今日は、ある雑誌のインタビューを受けました。官僚論についてです。インタビューが終わってからのやり取りです。
記者「岡本さんが言うようなことは、官僚の方はみんなおっしゃいます」
全「じゃあ、なんで私に聞くんですか?」
記者「いや~、実名でしゃべる人はいないんです。しゃべるときは、公務員を辞めたとき。現役だったら、匿名か、出世を諦めた人です。」
全「私はどうなるんですか」
記者「すでに、実名でいろんなことを書いているじゃないですか」
全「とほほ・・」

季節のご挨拶

2004年8月31日   岡本全勝

8月も終わりですね。みなさんにとって、よい夏だったでしょうか。全国的には、猛暑、台風と豪雨災害、オリンピックの夏でした。災害に遭われた方には、お見舞い申し上げます。
政治面では、三位一体改革地方団体案決定と、郵政民営化案が話題でした。ヨーロッパ視察中、ホテルのロビーで日本語新聞を読みながら、ある議員さんがおっしゃいました。「岡本さん、日本の新聞は、オリンピック以外は総務省(三位一体改革と郵政民営化)の記事ばかりじゃないか」「はい、それだけ重要な仕事をしてるんです」
小生は夏休みはもらえませんでしたが、それなりに充実した夏でした。