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日記

令和4年元旦

令和4年の元旦を迎えました。明けましておめでとうございます。皆さん、良いお年をお迎えのことと思います。
東京は快晴、寒いですが、おだやかな新年です。日本海側を中心に、年末から雪のようですが、大きな被害や支障が出ないことを祈っています。年末年始も働いておられる医療関係者、消防や警察、交通や流通関係者などに感謝しなければなりません。

我が家は、年末に息子が帰ってきて、今日は朝から娘夫婦が孫を連れてきて、賑やかなお正月です。ありがたいことです。
67歳になりました。いつものように、お正月兼誕生祝いの鯛と、新年用のお酒をいただいています。
若い時は、67歳といえば老人と思いました。実際になってみると、平均年齢が延びたことと、自分自身の健康状態を見ても、老人という感じはしません。
もっとも、その意識が「老害」となって、若者たちに迷惑をかけているのかもしれません。とはいえ、私がした経験で後輩たちに役に立つことは、伝えていきたいです。

今年も、知人が送ってくれた元旦の富士山を載せます。きれいです。横浜から。

 

 

 

 

 

 

次は、富士宮市から。

令和3年大晦日

早いもので、今日は12月31日。令和3年も終わりです。
皆さんにとって、今年はどのような年だったでしょうか。うれしいこと悲しいこと、楽しいことつらいこと、さまざまなことがあったでしょう。毎日忙しい生活をしていますが、今年は何をしたか、年末はそれを振り返る良い機会です。それが、思い出をつくり、思い出を確定するのでしょう。

社会全体では今年も、新型コロナウイルス感染症拡大に制約された日常でした。昨年以上に感染が拡大し、行動制限も強くなりました。出勤や会食が制限され、人と会う機会が少なくなりました。一方で、ワクチン接種が進み、マスクをして三密を避ければほぼ予防できることが分かりました。感染者数が劇的に減少し、10月からは制約をつけつつ平常の生活に戻りつつあります。
このまま終息とはいかないでしょうが、感染が拡大せず、かつ症状も低くなることを期待したいです。そう簡単には克服できないようですから、長期戦を覚悟しましょう。

経済や雇用は、新型コロナの影響の大きい業種には、厳しい年でした。それを除いても、日本経済は元気がありません。かつてイギリス病と言われた、繁栄した国家が急速に経済力を落とす罠に、日本も入っているようです。
経済の停滞は、格差や社会の不安を高めています。対処療法では、これらの問題は克服できません。国民と社会の挑戦心を再度かき立てる必要があります。経済の復調も、社会の不安を取り除く対策も、ここに基本があります。
もはや一流国でなくなった現実を直視して、変えていく必要があるのです。連載「公共を創る」を書き続け、また報道などを元にこのホームページを書き続けていて、その思いを強くしています。
「来年がよい年でありますように」とは、年末の挨拶の定番です。しかし、待っているだけでは、良い年は来ません。努力をしたうえで、良い年となることを期待しましょう。

今年も、蕎麦打ち名人のおいしいお蕎麦をいただき、年を越します。ありがとうございます。

令和3年の回顧3、生活

今年の回顧の3は、生活です。

今年も、新型コロナに振り回された1年でしたね。
私と家族は罹患しなかったのですが、知人にはかかって苦しい目に遭った人もいました。知らない人と出会う場所でも、マスクをして適度な距離を取っていたら、おおむね防げるようです。
コロナで行動規制があった期間は、夜の異業種交流会がなく、また散歩をして健康維持をしました。おかげで、体重を減らすことに成功しました。年初に比べ4キログラム減り、その後2キロ戻りましたが、結果として2キロ減です。
総理秘書官時代と同じ体重になりました。結婚以来の低い体重で、最高値(富山での単身赴任時代)に比べると、8キロの減量です。健康診断結果も良いです。

生活の変化は、職場が変わったことです。1時間半の通勤も慣れました。毎日出勤できることは、ありがたいことです。昭和の仕事人間は、ネクタイを締めて出かけないと、シャキッとせず、気分が乗りません。
原稿執筆に追われる日々は変わらず。読みたい本を買い込むのですが、なかなか読むことができません。読書の時間を確保できないのと、集中力が落ちました。

新型コロナで、今年もキョーコさんとの海外旅行は行けず、国内旅行もほとんど行けませんでした。11月に、息子の案内で南紀観光ができたことが救いです。
娘夫婦が、近所に引っ越してきました。キョーコさんは、これまで以上に孫の世話にかり出されています。私も、時にお世話係を命じられます。ありがたいことです。
遂に、フルートの練習を再開しました。これは、ぼちぼちと練習して腕を上げるしかないですね。

玄関横の椿は、なかなか良く剪定ができたようで、元気です。既にいくつか花を咲かせ、つぼみもたくさん付いています。もう一方の夏椿(三代目)は、枯れることなく育っています。鉢植えの木は、今年は桜を1本枯らしてしまいました。その他は、キョーコさんが手入れしてくれていて、元気です。孫と育てたアサガオはそこそこ咲き、植えたチューリップは春には花を咲かせてくれるでしょう。

令和3年の回顧1、仕事

年末になったので、今年も1年の回顧を始めましょう。
第1回は、仕事についてです。去年までは、復興について書くことが「仕事の回顧」でした。復興に関する公職を退いたので、今年からは仕事一般について書きます。

10月から、市町村職員中央研修所学長に就任しました。まだ2か月あまりですが、私の仕事としては、軌道に乗ったと感じています。学内の概要や仕事の動きを把握できました。詳しいところまでは分からないのですが、誰に何を聞けばよいかが、わかりました。
重要なのが、どこに課題があって、それをどのように解決するかです。細かいところは職員に任せて、大きな視点からの問題発見です。簡単にいうと、部外者の目、中長期的な視点です。先輩たちや関係者のおかげで、業務は順調に進んでいるのですが、時代の変化に応じて変えていく必要もあります。
私の疑問や変えたい方向を示して、職員たちと議論しています。早速に、新しい研修科目をつくってくれました。職員たちの反応が良い(質が良い回答がすぐに返ってきます)ことが、うれしいです。職員たちも、私の仕事の流儀に慣れてくれたでしょうかね。

仕事ではありませんが、異業種交流会には困りました。新型コロナ対策で会食が禁止され、5月から9月までは全く開催できませんでした。10月に再開したら、たまっていた約束が一気に押し寄せて、大繁盛になりました。
多方面の方と知り合いになる。これも仕事の延長です。いろいろな相談事が持ち込まれます。私の経験と人脈がお役に立った場合は、うれしいです。

年賀状投函

今日28日午後に、残っていた年賀状を書き上げ、投函しました。今年は着手が遅くなりましたが、昨日と今日ですべて投函できました。豪雪の影響さえなければ、元旦に届きますかね。
いつものように、裏面は印刷して、宛名を万年筆で書きます。そして、一言添えるようにしています。宛名をワープロで管理し、印刷すれば簡単なのですが。私の下手な字を待ってくださっている人への、1年に1度の報告です。千枚を超えていた頃に比べると、大幅に縮小しましたが、それでも毎年年末の苦行です。
これで一安心。

松飾りを買ってきて、門に飾り付けました。
お向かいの柿の実、鈴なりになっていたのですが、数日前に一気になくなりました。渋柿が熟して、甘くなったのでしょう。小鳥たちがごちそうにありつけたようです。ヒヨドリがたくさん来て、色鮮やかなインコもたくさん来て食べました。それらのいないときに、メジロが食べていました。
おじさんが、ヒヨドリは入れず、メジロだけが入って食べることができるカゴのようなものを用意して、その中に柿の実を入れてメジロに上げています。
私にも、いくつか持ってきてくださいました。ありがとうございます。
玄関横の椿は、真っ赤な花を咲かせ始めました。つぼみもたくさんできています。