霞が関では、クールビズは続いているのですが、8月末でゆう活が終わりました。職員の多くは、また9時半始まりに勤務時間を戻したそうです。私は、前から8時半始まりにしてあるので、ゆう活もその後も変更無し。実際には、8時過ぎに入って、自分の時間を確保しています。
困るのは、放課後です。私は17:15に退庁するのですが、異業種交流会の開始時間が、遅いのです。私は、17:45とか18:00開始が良いのですが、参加する公務員が18:30でも無理だと抵抗します。彼らは、18:15まで勤務時間なのです。「年休余っているんだから、時間休を取りなさい」と勧めるのですが、夕方に仕事をしたい職員が多くて困ります。で、何があっても、私は8時半までには、会合を退席します。早寝早起き元気なよい子。かつて「夜の2時までに帰る奴は男じゃない」と言っていたとか、日付変更線まで飲むのが習慣だったとは思えません。何をしていたのでしょうか。反省。
電車の混み方がひどくて、9時半始まりが良いという職員もいます。でも、大臣は火曜と金曜日に8時や8時半の閣議に出席されるのに、幹部の多くが9時半始まりとはいかがなものですかね。
カテゴリーアーカイブ:仕事の仕方
仕事が進む職場
5連休も終わり、職場が再開。職員たちが次々と入ってきて、それぞれこれからの課題を処理する方向性を、報告やら相談に来てくれました。中には、どうしようかなと密かに悩んでいた案件もあり、職員が私より先にかつ十分な検討をしてくれていて、驚きました。ありがたいことです。私は、少し注文を付けるだけで、すみました。できる職員を持つ上司は、楽です。朝から、気分が良かったです。
上司の仕事:戦略を立てること
先日、「業務の管理=予定表」を書きました。ようやく、部下=各課の仕事の全体像をつかんだという話です。
さて、予定表を作ることで、自分の仕事の見通しが立ち、部下とも仕事の重要度とスケジュールを共有できます。しかし、上司の仕事としては、ここまでで半分です。ここまでは、管理職としての仕事です。
さらに必要なのは、この予定表に載っていない「戦略」を立てることです。各課長が作った課題と予定表は、課の仕事であって、局の仕事ではありません。課の仕事を積み上げても、局の戦略にはならないのです。
もちろん、各課長が作った予定表に、その局の戦略が書かれておれば、それで良いのですが。通常は、与えられた各課の仕事を前提に、課題と業務が載っています。
課の課題を足し上げても、局の戦略にはなりません。組織の責任者としては(私は、まだ責任者ではありませんが)、その組織の中長期的戦略を立てることが、もう一つの大きな任務なのです。本当は、先に局の戦略があり、それに基づいて課の目標があるのです。
民間企業の場合、社の目標があり、それを達成するために部の目標があります。そして、それに基づいて課の目標があります。当たり前のことです。社の目標を達成するために、その下部組織が作られているのですから。ところが、官公庁や古くなった会社では、組織全体の目標をブレイクダウンして、各課の目標を作っていないのです。所掌事務は決まっていても、課の目標は決められていないのです。目標による管理が、行われていません。
この構図は、課長と係の関係でも、当てはまります。
今週も働きました。明日も働きます
さて、今日は金曜日。今週も、あっという間に過ぎました。困ったものです。前日に秘書が渡してくれる翌日の日程表は、空欄が目立つのですが。これが「大嘘」です(笑い)。
「よし、今日はこの資料を片付けよう」と思っていると、次々と職員が相談に入ってきます。「ちょっと良いですか」と。さらには、上京した被災地の町長や議員さん、記者さんや他省庁の人が、様子を見に来てくれます。よって、自分の時間は取れず。いつも同じことを書いています。今週も進歩無し。原稿執筆や講演の依頼も来ているのですが・・・。明日は、福島県で視察の案内と、講演です。
復興を通じた異業種交流
昨日は、政界の大物たち(復興を支援してくださっている方々)との会合、今日は民間企業で復興を支援してくださる方々の会合でした。名前は書きませんが、皆さんが知っておられる有名人です。いつも書いているように、身内との飲み会より、異業種交流の方が勉強になります。経済の話はもちろん、中国の話や韓国との関係など。なかなか聞けない話もあります。
共通しておっしゃるのは、官民の垣根を越えた協働の重要さ、しかしその難しさ。会社や役所の管理部門を駆け上り、「純粋培養」されたエリート幹部の「できの悪さ」です。いろんな部署や他の組織を経験すること、できれば海外での経験、そして苦労してくることがこれからの幹部に必要だということ。競争のない組織、競争に打って出ない組織が腐敗し、ダメになっていくことです。お詫びの記者会見をした経験談で、盛り上がることもあります(苦笑)。
こんな方々と親しくできるのも、復興というご縁です。皆さん、「全勝さんも、長くなったねえ」「次官を辞めても、死ぬまで復興に関わるのでしょ」と言ってくださいます。貴重な会なので、復興庁の職員たち特に若手を、連れて行くことにしています。霞が関がいかに狭い社会か、そして社会の中で一部分でしかないかを、知ってもらうためです。井の中の蛙を、野原に引き出すのです。