8日の朝日新聞変転経済は、「消費税導入」でした。大平内閣の一般消費税構想が1978年、中曽根内閣の売上税法案が87年、消費税法成立が88年。もう、20年も経つのですね。
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日本の停滞、イギリスの見立て
2月27日の日経新聞に、イギリス・エコノミスト誌の特集記事が、紹介されていました。「なぜ日本は失敗し続けるのか」です。
「・・日本経済が回復できないのは、改革の歩みを止めた自民党、党内の意思統一ができない民主党など「政治家」が元凶だと指摘した・・日本停滞の責任の一端は増益を記録しながら賃金を引き上げない企業にもあると指摘。改正建築基準法による住宅着工大幅減など官僚の失敗にも言及した・・」
20年以上前だったら、イギリスに、このような見立てをしてもらうことは、あり得なかったですね。「老大国」と言われたイギリスの復活が、うらやましいです。
世界経済の変化
2月19日の日経新聞経済教室「最高・基軸通貨ドルの行方」で、ウォーラーステイン氏(世界システム論で有名)が、「世界システム、多元的に。覇権の維持難しく。崩れる世界経済の優位性」を書いておられます。歴史と地政学と経済学から、大きな流れて分析してあり、勉強になりました。
そこで学んだことの一つに、世界経済の歴史区分があります。私は、日本の経済を、戦後から石油ショック(1978年)までの高度成長期、石油ショックからバブル崩壊(1991年)までの低成長期、その後現在までのデフレ期の、3つに区分して説明しています。1945年から1955年までの戦後復興期を入れると、4期です。
ウォーラーステイン氏は、1945年から1973年までを第1期として、コンドラチェフの波の上昇期とします。これに続く1970-73から現在までの第2期が、コンドラチェフの波の後退期に当たります。第1期は日本も驚異的な経済発展を遂げましたが、西欧もまた同様で、世界経済の生産と利益が驚異的に拡大しました。第2期は、工業生産の収益性の低下と低賃金地域への工場移転、世界的な失業率上昇と資本大国(日米欧)による雇用喪失の負担の押し付け合いになったこと。工業生産から金融市場での投資・投機へと向かう資金フローの変化とそれに伴う長期的バブルの生成、国家間や各国内での所得配分の顕著な二極化などを指摘しています。
私は、1978年以降の日本経済を、バブル前後で二分しています。しかし、このように世界経済から捉えると、世界経済全体の変化があり、前半は押し付け合いゲームで勝っていた日本、後半はそれに負けた日本、という構図が見えてきます。日本経済の変化も、日本独自による部分と、世界経済の変化によるものと、二つに分けて説明しなければなりません。そして、不可避の部分と、対応可能なものとを分析しなければなりません。
そのほか、地政学的的な分析もあり、なるほどと思うことが多かったです。
パソコンに見るビジネスモデルの革新
21日の朝日新聞私の視点、佐々木俊尚さんの「ヤフー買収劇、新たな潮流に沈む帝国」から。
・・80年代まで、コンピュータの世界を支配していたのはパソコンだった。日本ではNECのPC98シリーズがパソコン市場を寡占し、PC98上で動作するソフトでなければ売れなかった。パソコンこそがプラットホーム(コンピューターの動作基盤)であり、パソコンメーカーこそが覇者だったのである。
だが90年にマイクロソフト(MS)が「ウインドウズ3.0」という基本ソフト(OS)を発売すると、状況は変わった。ウインドウズ向けのソフトはどんなパソコン上でも動作し、パソコンの機種の違いを吸収したからだ。この結果、パソコンメーカーの支配力は役に立たなくなり、覇権はMSに渡った。MSはさらに、ワープロや表計算ソフトをウインドウズとなかば統合し、この分野でも市場を支配した。
ところが、2000年代に入って、新興ネット企業のグーグルが登場すると、MS帝国の屋台骨は揺らぎ始める。グーグルの最大の成功は、電子メールや検索エンジン、記事購読など情報やりとり部分に広告を連動させ、巨大な収益を上げるという新たなビジネスモデルを展開したことだった。グーグルは、有料で提供されるべきだと考えられていたインターネットの記事やサービスに広告をつけることで、無料に提供する手法を編み出し、世界最大の広告会社にのし上がった。
グーグルはさらに、インターネットを閲覧するソフト上で軽快に動作するワープロや表計算、電子メールなどのソフトを提供するようになった。これらは必要なときにネット経由で供給され、閲覧ソフトさえ動いていれば、OSの種類は問わない。しかも無料だ。この仕組みは、インターネットという雲(クラウド)につながるだけで様々なソフトが利用できるから、「クラウド・コンピューティング」と呼ばれる。いまや、ウインドウズによる市場支配にも破壊的な影響を与えつつある・・
なるほど、そういうことだったのですか。よくわかりました。まず、IBMなどの大型コンピュータの時代があり、次にパソコンの時代になりました。ここまでは、ものが小型化する時代です。次に、その上に載るOSという「ソフトウエア」が支配する時代になり、さらにはインターネットをどう利用するかという知識の時代に進んだのですね。これが、10年ごとに革新するのですから・・。
詳しくは原文をお読みください。
社会を安定させる、つきあいと生き甲斐
大村敦志『フランスの社交と法』(2002年、有斐閣)が、勉強になりました。先生は、東大法学部の民法の教授です。フランスでの暮らしをもとに、社会(Societe)をつくっている社交(societe)とそれを支える「法」について、日仏の違いを分析しておられます。その切り口は、「余暇」「近隣」「結社」です。
個人は、一人では生きていくことはできません。近代社会は、個人を束縛から自由にすることを目指しました。しかし、農村社会や大家族から解放されたとき、個人は国家や市場とむき出しで付き合わなければならなくなりました。
フランス革命を経て、近代市民社会に入ったフランスは、いち早くこれらの問題に直面しました。教会、ギルド、身分制社会でなりたっていた旧体制を打破するため、革命はあらゆる結社を禁止したのだそうです。
個人を社会とつなぐものが、付き合いであり、中間団体です。NPO(フランスではアソシアシオン)、地縁などが、再認識されたのです。
先生は、「つきあい」と「生き甲斐」を副題にしておられます。個人の外面を捉えると、つきあい・社交の重要性です。内面では、生き甲斐です。これは、豊かになったが故に、職業生活だけでは満足が得られなくなった、あるいは働くことだけであくせくしなくて良くなったからです。
私はこのことを、「新地方自治入門」第8章「公の範囲は」で、中間団体の機能を中心に述べました。
かつての日本では、地域社会、お寺や神社の行事などで、社交とつきあいがありました。それが急速になくなりました。そのような、地域での半強制的なつきあいでなく、新しい形の社交が求められているのでしょう。