カテゴリーアーカイブ:社会の見方

東プロシア

2015年12月12日   岡本全勝

池内紀著『消えた国 追われた人々―東プロシアの旅』(2013年、みすず書房)が、勉強になりました。
東プロシア、第2次大戦まで存在した国というか、ドイツの領土です。現在では、ポーランド、ロシア(飛び地)になっています。有名な都市では、ダンツィヒ(現在ではグダニスク)、ケーニヒスベルク(カリーニングラード)です。中世にドイツ人(騎士団)が植民し、ということは原住民を追い出したのですが、ドイツ人中心の国を作っていました。ケーニヒスベルクは、ベルリンより先に華麗な首都になっていました。
ドイツが大戦に負けたことで、ソ連がまず国境線をポーランドよりに西へ動かし領土を拡大します。その玉突きで、ドイツとポーランドの国境を西に動かしたのです。そして、ドイツ人を追い出しました。その数、千2百万人です。財産をすべて残し、着の身着のまま見知らぬ祖先の地ドイツに移住します。この点は、日本の戦後引き揚げ者と、似ているところがあります。
先生がこの地を3度訪問して、その歴史を調べることになったきっかけは、大戦末期1945年1月に多くの避難者を乗せた客船が、ソ連潜水艦に攻撃され沈没したことに興味を持たれたからです。ヴィルヘルム・グストロフ号、1万人を越えるドイツ難民を乗せ、9千人程度が死亡したと推定されます。戦争中のことであり、その後も封印されて、正確なことはわかりません。タイタニック号が史上最大の海難事故といわれますが、犠牲者は千5百人ほどです。それに比べはるかに大きいのですが、ナチス批判の陰に隠されたようです。
膨大な避難民と大勢の海難犠牲者、とても悲しい話ですが。政治が多くの人の人生を変え、人命を奪う事例です。お薦めします。

ドイツの自然がつくったドイツ人

2015年12月11日   岡本全勝

池上俊一著『森と山と川でたどるドイツ史』(2015年、岩波ジュニア新書)が、面白いです。内容は、表題のとおりです。先生には、このシリーズに『パスタでたどるイタリア史』、『お菓子でたどるフランス史』があります。ドイツもその延長で、ジャガイモ、ソーセージ、ビールを考えられたようですが、森と山と川を選ばれました。
ジュニア新書なので、子ども向きにやさしく書かれています。しかしそれによって、切れ味良くドイツの特性を描いておられます。高校の教科書や専門書が細かい事実を並べるのに比べ、わかりやすいのです。国家ができなくて民族が先にあったこと、神秘主義が好きだとか、ワンダーフォーゲルが生まれたとか。といっても、カノッサの屈辱やルターの宗教改革なども出てきて、子どもには難しいかもしれません。

被災地の子ども、田村太郎さん

2015年12月8日   岡本全勝

昨日、田村太郎さんが、多文化共生で朝日新聞記事に取り上げられたと、紹介しました。本人からお礼とともに、毎日新聞にも出ていますと、電子メールがきました。12月7日「震災後に貧困、学習意欲は持続 「被災地・子ども教育白書」 公益社団法人調査
・・・復興庁の田村太郎参与は、被災地から就職先や進学先を求めて東京などに出たものの、生活になじめずに地元に戻ったケースが少なくないと紹介。今後はこうした若者たちの支援についても検討が必要だと述べた・・・

エコル・ノルマル・スュペリユール

2015年12月7日   岡本全勝

加藤晴久著『ブルデュー 闘う知識人』には、エコル・ノルマル・スュペリユールの超エリート教育が紹介されています。p25~。
フランスには、大学と並行して、ゴランド・エコル(大学校)があり、国公立・私立あわせて300校近くあります。エコル・ノルマル・スュペリユール(高等師範学校とも訳されます)は、大革命期の1794年設立、元は高等中学(リセ)の教員養成が目的でした。パリとリヨンに合計4校ありますが、パリのウルム通りにあるのが、ダントツのようです。ブルデューは、ここを卒業します。入学者は、文科・理科ともに40人前後。20歳前後で入学する学生は準公務員扱いになり、小学校教員並みの給料をもらう身分になります。
加藤先生も、1961年から4年間学ばれました。当時は全寮制、起きてパジャマにガウンをまとうか、着替えて食堂へ。その間に家政婦が、ベッド・メイキングをして、掃除をしてくれます。昼食と夕食では、サービス係がテーブル食事をに運んでくれ、ワインも出ます。食事の質も上等。ワイシャツ、下着、ハンカチまで提供され、袋に入れて出すと、洗濯してアイロンをかけて返してくれるそうです。
学生たちは、俗事から解放されて、ひたすら勉強に励むのです。

多文化共生、田村太郎さん

2015年12月6日   岡本全勝

12月6日の朝日新聞「戦後70年エピローグ。縮む世界、開く心の距離」に、田村太郎さんが出ていました。ヨーロッパで大きな問題になっている移民。日本の状況について。
・・・日本に暮らす外国人は過去最多の約217万人。雇用されているのは約79万人だ。政府は単純労働者は受け入れないとしながら、例外を増やしてきた。
日本は70年代まで移民を送り出していたが、85年からの円高やバブル景気で、世界中から人が集まった。90年には3世までの日系人に定住が認められ、来日があいついだ。事実上は単純労働の「技能実習」制度は拡充されている。
家族と日本で暮らす人たちを地域の一員として迎え入れようと、総務省が「地域における多文化共生推進プラン」を策定したのは06年だ。霞が関には政策づくりの機運が生まれたが、2度の政権交代を経て、今は「冬の時代」といわれる。
NPO法人「多文化共生センター大阪」の代表理事、田村太郎(44)は「自治体とNPOが必死に取り組んで大きな社会問題にならなかったのをよいことに、政府も国会も外国人との共生を議論せずにきた」と指摘する・・・