カテゴリーアーカイブ:社会の見方

サッチャー改革の見直し

2025年12月27日   岡本全勝

12月19日の朝日新聞オピニオン欄、長谷川貴彦・北海道大学教授の「サッチャー改革という物語」から。詳しくは原文をお読みください。現在連載「公共を創る」で「新自由主義的改革の代償」を書いています。成熟社会において新自由主義的改革だけでは社会は良くならないことを述べているのですが、その主張に通じるところがあります。サッチャー首相については、池本大輔著「サッチャー-「鉄の女」の実像」(2025年10月、中公新書)が出ました。これも読んだのですが、紹介は別の機会にします。

・・・高市早苗首相が「憧れの人」と公言し、再び注目された英国のマーガレット・サッチャー元首相。サッチャー氏による新自由主義改革が、戦後の福祉国家がもたらした「衰退」を打開した――。そう語られてきた「常識」の見直しが進んでいる。その背景と今日への示唆とは。歴史学者の長谷川貴彦さんに聞いた・・・

――戦後英国史の「常識」が見直されているそうですね。
「まずその『常識』について確認しましょう。第2次世界大戦後、英国では労働党政権によって福祉国家が確立され、国民は『ゆりかごから墓場まで』と称された社会保障を享受した。しかし1970年代に入ると、それが経済的な非効率や硬直性をもたらし、深刻な衰退を招いた。袋小路に陥った英国に登場し、危機から救ったのが、79年就任のサッチャー首相による新自由主義改革だった――。そうした『成功物語』です」
「今でも繰り返し語られる物語で、多くの人の頭に染み込んでいるのではないでしょうか」

――それが、近年どのように見直されているのですか。
「2008年のリーマン・ショック、16年のブレグジット(英国の欧州連合離脱)と米大統領選の衝撃を経て、17年にロンドンで開かれた研究集会『英国のネオリベラリズム再考』以降に、再検討が進みました」
「『常識』は、二つの物語から構成されています。一つ目が、戦後の社会民主主義、福祉国家、ケインズ主義は『失敗』であり、その結果、『衰退』がもたらされたという認識です」
「二つ目は、新自由主義の政策的な『成功』という物語です。サッチャー政権は個人の自由を基礎に、国有企業の民営化や労働組合への規制強化、金融市場の自由化などを断行し、それにより英国は景気循環から解放され、持続的な経済成長を成し遂げたというものです」

――まず「衰退」の物語は?
「当時の政治家やジャーナリズムは『衰退』の物語を強調しましたが、経済は70年代にかけて成長していた。生活水準も向上しており、歴史家ジム・トムリンソンは、むしろこの時代を、経済成長を遂げた黄金時代の一部と捉えています」
「さらにトムリンソンは、英国が経験していたのは『衰退』ではなく、『脱産業化』であるとも言っています。経済の構造変化を捉える重要な視点です」

――脱産業化とは。
「英国は19世紀に世界で最も早く工業化を達成し、20世紀後半には他国に先駆けて脱工業化の道を歩み始めました。70年代に本格化するこの現象では、従来の基幹産業だった鉄鋼業や造船業などが競争力を失って製造業の拠点が海外に移り、経済の主軸が金融サービスなどの第3次産業へと移りました」
「これにより、基幹産業で働いていた労働者たちが、職を失ったり、より賃金の低いサービス業に移らざるを得なくなったりした。人々の皮膚感覚としても、『衰退』として認識されやすかったでしょう」
「だが、これは後に多くの先進国も体験する構造転換だった。なのにそれを労働組合の存在や公共部門の拡大が招いた『衰退』とするのは、福祉国家の『失敗』を強調したい人々によるイデオロギー的な虚構であり、それが実態を見る際の阻害要因になってきた、と指摘されるようになりました」

――「衰退」の部分が再検討されれば、おのずと「新自由主義」の見方も変わりそうです。
「その通りです。事実、新自由主義の『成功物語』も再検討されています。新自由主義の英国版がサッチャリズムですが、その改革は、実は戦後の福祉国家が築いたストックや遺産を前提として成立したという評価が有力です」
「例えば、サッチャー政権は『資産を所有することで、個人の自立を促し社会を安定化させる』との考えで、公営住宅の個人への売却を進めましたが、公営住宅を大量に建設したのは福祉国家の時代でした。脱産業化で膨れあがった失業者を支えたセーフティーネットも、福祉国家時代の政策によるものでした」
「つまり、前の時代に蓄積された社会インフラや制度のストックがなければ、サッチャリズムの『改革』による生活への打撃はより深刻なものになっていたでしょう。この観点からすれば、新自由主義の『成功』は、福祉国家の遺産に寄生していたことになり、その持続可能性に疑問符がつけられています」

福井ひとし氏の公文書徘徊8

2025年12月25日   岡本全勝

『アジア時報』12月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第8回「「撃ちてし止まむ」情報局」が載りました。

戦前の内閣の情報機関についての記録です。内閣に置かれた、「内閣情報部」や「情報局」です。国内外の情報収集・活用を行うインテリジェンス機関で、戦時中に国策の宣伝や刊行物等の検閲を行っていました。戦後は、現在の「内閣調査室」に引き継がれたようです。
仕事の性質上、どのようなことをしていたか(現在も何をしているのか)、詳しいことは公表されていません。戦前の文書のほとんどは、敗戦時に焼かれたのでしょう。81ページには、国策紙芝居を、毎日1ヶ月間燃やし続けたとの話も載っています。

今回の記事は、残っている文書を元に、どのような経緯でこのような組織が作られたか、どのような活動をしていたかをたどります。官庁の組織なので、そこは記録が残るのです。
主な活動は、対外的なスパイ活動ではなく、国内の情報収集と思想誘導だったようです。

「撃ちてし止まむ」というセリフは、私が子どもの頃によく聞きました。私は1955年生まれ、戦後10年で生まれましたから、戦争はつい先日のことだったのです。パチンコ屋からは、軍艦マーチが流れていました。最近はどうなっているのでしょうか。
「愛国行進曲」が、内閣情報部の発案で募集されたことを知りました。知恵ものがいたのですね。この歌も、よく聞きました。若い人は知らないでしょうね。

大所高所から

2025年11月18日   岡本全勝

報道機関から、取材を受けたり意見を求められたりすることがあります。ときには、私の専門外のことや最近の動きに詳しくないこともあります。
「それは、私の専門外や」とお断りするのですが、「いえ、専門的な話は担当者から聞くので、大所高所からの意見が欲しいんです」と言われます。

なるほど。我が身を振り返っても、担当している仕事については詳しくなるのですが、それを外の人が見たらどう見えるかを忘れるときがあります。外部の視点の方が、問題点などを見つけることもあります。岡目八目とも言います。
「明るい公務員講座」では、目の前のことに集中せず、もっと広い視野で考えましょうということを、蟻の目と鷹の目と表現しました。あるいは、岡本全勝Aの後ろに、岡本全勝Bを置いて考えましょうとも。『明るい公務員講座』の表紙の帯は、それを絵にしてもらいました。

もっとも、広い視野とか大所高所からといっても、そう簡単に全体を読むことができるわけではありません。その分野にある程度精通していなければなりませんし、それを少し離れた場所から見るという能力も必要です。どうしたら、それを身につけることができるか。
そのためには、さまざまな分野をそれなりに知っている必要があります。いろんな経験を積むことと、本を読むこと、新聞を読むこと、様々な人の意見を聞くこと、そして物事を客観的に見る訓練をすることが必要なのでしょうね。

私が「違った視点から見る」ために心がけているのは、次の2つです。
1 時間軸。過去や未来と比べてみる
2 横軸。違った立場、諸外国から見てみる

変容する政治と宗教の関係

2025年11月13日   岡本全勝

10月21日の読売新聞「公明連立離脱 変容する政治と宗教の関係 水島治郎・千葉大教授に聞く」から。

・・・水島教授は、労働組合や業界組織などの団体が個人をまとめて政党を支える仕組みが、20世紀後半の政治の構図だったと指摘する。各団体は、都会に出てきた地方出身者など、旧来のつながりから切り離された人々を包摂し、仲間を提供する場となり、政治参加の道を開いた。「戦後の新宗教も同じような機能を果たしていた。創価学会が支持する公明党だけでなく、自民党も様々な宗教団体を支持基盤としていた」
この構図は、西欧諸国でも同様だった。信徒が属する教会系団体に支えられ、キリスト教民主主義政党が政治を担った。「宗教を一つのベースとし、反共産主義の旗印の下に結集していた。教会やキリスト教団体は、信仰を共有するだけではなく、友人を作る場であり、市民が政治にかかわる経路ともなっていた」。水島教授は、宗教系の団体が、戦後の日欧政治における隠れた主役の一つだったと説く。

自公連立が20世紀の最終盤に実現したのは、両党の支持基盤に先細りが見えたためだが、そうした政治の到達点と見ることもできる。だが21世紀に入ると、中間的な団体は急速に力を弱めた。宗教団体の場合、親からの信仰の継承を拒む人や、私生活を優先する人が増えた。インターネットの発達で仲間作りも容易になった。「個人と団体との関わり方が根本的に変わり、両者の力関係が逆転した」
個人が政党支持に至る過程も、政治家の動画を見て判断するなど流動的になった。団体は縮小し、残った構成員は高齢化し、政治活動の熱も下がった。「個人―団体―政党」という安定した構図は一部のものとなった。「構成員をフル稼働させても選挙で勝てるとは限らなくなった。負ければ団体の存在意義に関わり、内部分裂にもつながる」とし、宗教団体にとって選挙がリスクになっていると指摘する。

一方で水島教授は「宗教団体の力は弱まり、団体に依存する政治のあり方は変わってきたが、宗教そのものの影響力は弱まっていない」と強調する。例えば欧州では、反イスラムで保守勢力を結集させる際、キリスト教が重要な旗印になっているという。「外部者を排除し、人々をまとめるために、自国の宗教的アイデンティティーが使われている」
実際、米大統領のトランプ氏や露大統領のプーチン氏、イスラエル首相のベンヤミン・ネタニヤフ氏ら、世界を揺るがせている政治指導者は一様に、宗教的アイデンティティーを前面に出している。「自分が信じているかは別として、宗教に訴えることが、政治家の戦略として効果的だとの感覚は持っているはず。宗教とナショナリズムは、人が命をささげるに値する究極の価値として意識される点で共通するものがある」・・・

・・・各国で共通するのは、宗教的アイデンティティーを前面に出し、人々をまとめる役回りを、急進的な右派勢力が担っている点だ。従来の宗教団体に支えられた中道保守勢力は弱体化している。今後について水島教授は、その傾向がさらに強まる可能性があるとする。
「社会は変わり目にあるが、宗教の役割は形を変えつつも衰えておらず、陰に陽に政治と結びついている。北欧など先進的とされる民主主義国でさえ、宗教と結びつく形で君主制も維持されている。日本でも、お祭りなど宗教的な行事への関わりは薄れておらず、皇室への関心は高い。現実の展開は、教科書的な近代化・世俗化とかなりずれているのではないか」・・・

経営者育成の遅れ2

2025年11月11日   岡本全勝

「経営者育成の遅れ」、10月28日の日経新聞経済教室、ニコラス・ベネシュ・会社役員育成機構ファウンダーの「企業トップ育成、アップデート急務」の続きです。かつて日本の経済成長を支えた雇用慣行が、いまや逆機能になっていることがわかります。

・・・一方、日本では生涯1社型のキャリアが依然として主流であり、特定スキルの習得よりも「当社のやり方」に精通することが組織風土として重視される。他社で通用しにくい「スキル」に依存することは、必然的に外部の視点を遮断することにつながり、閉鎖的な発想を助長する。

近年、ようやく日本でも中途採用市場(ミッドキャリア市場)が発展してきた。しかし管理職に関してはまだ市場が未成熟であり、企業の閉鎖性やグループ主義が依然として強いため、中途採用者の昇進が難しいことが多い。このことが、経営者育成の停滞をさらに悪化させている。
研修についても社内で済ませることが多く、財務や戦略といった経営者全員が持つべきスキル獲得への投資は、極めて少ない。外部研修を依頼する場合でも、自社用にカスタマイズされた内容か、あるいは「他流試合」の意見交換があまりないものを希望する。他社事例をケーススタディーとして取り扱っても、「自社の仕事に早く戻るべきだ」と考える上層部の意向で、短時間になりがちだ。
こうした上層部の意識を反映して、昇進基準に具体的な知識習得が含まれることもまれである。統計データからもこうした組織風土がうかがえ、日本の人材開発費は国内総生産(GDP)比で主要先進国の3分の1以下にとどまっている

財務や戦略に関する深い専門知識は、限られた研修の機会で習得できるものではない。優れた上級管理職や取締役を育成するには、管理職を複数の職務に配置し、異なる人々と協働しながら、長年にわたって財務や戦略スキルを磨く現場経験も不可欠である。
日本企業の多くの経営者とって、皆が共通して有すべき基礎知識やキャリアプランニングの重要性が、十分に認識されているとはいえない。あなたの会社の管理職研修も場当たり的で、補習、そして短時間セッションにとどまってはいないだろうか。
社内・社外役員研修では、こうした非効率な習慣や意識が事態をより悪化させる。加えて、海外とは対照的に、役職が上がるほど他社や専門家との交流を通じた1日以上の学習機会を求めなくなる傾向がみられる。その背景には、役員を取り巻くプレッシャーの「弱さ」がある。

新任取締役は、指名される前の段階では「まだ取締役ではない」と考え学習を避け、就任後は「指名されたのだからおおむね適格だろう」と考え、その地位に安住してしまう。一部の社外取締役は責任を軽視し、「あまり時間をかけずに良い報酬が得られる」と、無邪気に就任しているケースもみられる・・・
・・・研修および他社において学んだ財務・戦略・シナリオプランニングといったスキルは、長期的な戦略が求められる企業において、経営陣や取締役の全員が共通に持つべき中心的なものだ。こうしたスキルの欠如により、日本の経営幹部や取締役は、中長期的投資や戦略的ビジョンを避けがちになっている。どの計画も前の計画の延長に過ぎず、サステナビリティー(持続可能性)の視点や革新性に欠けている・・・