カテゴリーアーカイブ:社会の見方

内包と外延、企業評価

2026年1月17日   岡本全勝

内包と外延」の延長です。
新聞記事を読んでいて、「分析が足りないなあ」と思う記事があります。例えば、ある企業の業績分析です。その企業の過去と現在、そして取り組んでいる未来への予想が詳しく書かれています。これは、時系列の比較ができて、わかりやすいです。現在の売上高や利益率を示されても、それが良いのか悪いのかわかりませんから。

ところが、同業他社との比較がない場合があります。これがないと、よく頑張っているのか、頑張っているけどダメなのかがわかりません。私の言う「内包と外延」の一つの適用事例です。

もちろん、会社の発表通りを伝えるのではなく、記者による分析が重要です。

学歴が気になる

2026年1月17日   岡本全勝

2025年11月12日の朝日新聞オピニオン欄「学歴って気になる?」から。

「過去の競争結果、今が大事」 安井元康さん(経営者)
・・・学歴を比べたり、自慢したり――。社会人になっても、学歴を鼻に掛ける人はいるものです。そんな「学歴マウント」をとってくる人に、どう対処すればいいのでしょう。
なぜ学歴を持ち出すのか。私の考えでは、そういう人は仕事や私生活など、現状の自分に何かしら不満を抱えている傾向があると感じます。その裏返しで、目の前の相手よりも「自分が上」と優劣をつけることで、安心感を得ようとするのでしょう。

学歴は誰しもが持ち、偏差値などで可視化される全国共通の「レベル」。過去にさかのぼって変えることもできない。「自分には優れたところがある」と示すためのわかりやすい指標なのです。そして一部の人々にとっては、自分の尊厳を保つための最後のとりでになっている。
でも冷静に考えれば、学歴は10代の頃に特定のルールに基づいて競争した結果でしかありません。それが現在の仕事の能力や生活能力などと100%リンクするわけではない。いまの自分を構成する一つの要素にすぎません・・・

「学内の学び、後回しの社会」 濱中淳子さん(教育社会学者)
・・・戦後の日本では、「努力すれば報われる」と信じられてきました。この考え方の象徴が「学歴」だといえるでしょう。制度的には誰にでも教育機会は開かれていたため、学歴獲得は多くの人を巻き込む競争の場でなされたし、今もその状況は続いています。
教育年数が長い方が、そして威信の高い学校を出た方が、いわゆる「条件の良い職」に就ける確率が高まるため、学歴にはどうしても注目が集まります。ただ、なぜ学歴にそれほどの力があるのか不明瞭なところもあるため、こうした状況に対する批判の声も少なからずあがってきました。

とはいえ、威信が高い大学に入学することで、豊かな経験が得やすくなる側面があることもたしかです。つまり、規模が大きいという事情も加わって、サークルや課外活動が盛んであり、学外とのネットワークも築きやすく、学んで成長したいと思ったときに、行動を起こしやすい。最近では、こうした大学を中心に、起業する学生なども増えてきました。
注意が必要なのは、こうした成長物語に「大学の授業」があまり登場しないことです。もちろん、理系や医療系などは授業中心に力をつけていきます。注目したいのは人文社会系です。これらの領域に属する学生たちの学習時間の少なさは、政策課題にもなっています・・・

聖者が街にやってくる?

2026年1月16日   岡本全勝

「聖者が街にやってくる」という歌、ご存じですよね。
Oh, when the saints go marching in・・・
中学生の頃でしたか、私にもわかる英語です。黒人の歌手が迫力ある歌い方をするので、印象に残りました。表題を見て、キリスト教の偉いお坊さんが街にやってきて、信者がついて歩くのだと思っていました。

しかし、それにしては軽快なメロディーだなあとも、思っていました。インターネットで調べたら、わかりました。ウィキペディアには、次のようにあります。
「原詞は聖書の黙示録を踏まえ「最後の審判で聖者が天国に入って行くとき、自分も一緒にいたいものだ」と歌うのもので、「聖者が街にやってくる」訳ではない」
納得。それにしても、とんでもない誤訳ですね。

と書いたのですが、次のような反論がありました。そんな訳詞があるのですね、知らなかった。
・・・「聖者の行進」の「マーチングイン」をうまく生かした「街にやってきた」という訳は、誤訳ではなくて意訳というべきだと思われます。
「黒人霊歌」はほぼ我が国における「御詠歌」の役割を果たしていたものと思うのですが、南部の黒人教会(白人たちとは別の教会)でお墓までの葬送曲として謳われていた「聖者の行進」(「この世の終りの最後の審判で、星が墜ち、月が血のように赤くなるとき、その(天国に行ける)メンバーの中に我らを入れたまえ」これは暗い御詠歌)を、ルイ・アームストロングがコミカルな歌(今のリズミカルな歌)に替え、さらに作訳詞者・小林幹治さんが、黙示録を読んだこともないわたくしどものために明るいみんなの歌みたいな歌(「星と歌の国から聖者が街に来た、聖者を迎えようぼくらの街に」)にしてくれたらしいです・・・

若者が戻りたくなる「寛容な故郷」に

2026年1月16日   岡本全勝

2025年11月26日の朝日新聞「若者が戻りたくなる「寛容な故郷」に」から。

・・・人口減少が進み、現役世代が今の8割に減る2040年の「8がけ社会」。高齢化も進むなかで、地元を出た若者をどう呼び戻すか、各地の自治体が頭を悩ませている。誰もが答えを見つけ出せないなか、「寛容性」が解だとライフルホームズ総研(東京)の島原万丈所長は説く。その真意を聞いた。

―若者が故郷に戻らない理由は、地方に就職先がないからだと聞きます。
そもそも故郷を出た若者に、地元へ帰ろうという発想がない。仕事がないことがUターンの阻害要因になっていることは否定しません。でも働き先が少ない沖縄県はUターンする若者の割合が69・0%と、全国平均(42・4%)を上回り全国トップです。
経済指標が高いとは言えない北海道や宮崎県もUターン率は高い。そこで私たちがたどり着いた答えが「寛容性」です。

――どういうことでしょうか?
まず私の経験も踏まえて「若者の価値観に対して不寛容な気質の地域からは若者は去り、そして戻ってこない」との仮説を立てました。そのうえで、女性の生き方や家族のあり方への寛容性や個人主義を認める度合いなど8分野64項目で47都道府県を点数化してみました。その結果と、東京近郊(東京・埼玉・千葉・神奈川)に住む地方出身の18~39歳の男女のUターン意向の関連性を調べました。
寛容性を横軸に、Uターン意向を縦軸にした場合、沖縄のほか、大阪、兵庫、福岡など大都市を抱えた府県が右上に、山形、秋田、鳥取など人口減少に悩む県が左下に集中している。縦軸と横軸の関連を示す「相関係数」は0・447で、「地域の寛容性はUターン意向と十分な相関関係にある」といえます。
同じ手法で分析したところ、他県から移住してきた人の離脱意向を下げる効果も確認できました。つまり、地域社会の寛容性は住民をその地域にとどめ、よそへ転出した若者を呼び戻す力を持つ。「寛容性」は地域創生戦略を考えるうえで重要な指標として認識されるべきだという結論に至りました。

――寛容性がある地域とは、どんな地域ですか。
寛容性というのは、言い換えれば他の可能性を認めるということ。「こうでなければいけない」と決めつけない。例えば、女性はこうじゃなきゃいけないとか、若者はこうなんだって決めるから社会が不寛容になってくる・・・

政治を動かす大衆、希望から不安へ

2026年1月15日   岡本全勝

2025年11月23日の読売新聞[あすへの考]、フランシス・ヴォルフ氏の「ナショナリズム過熱の脅威」から。気になったところを紹介します。

・・・私見では、西洋で近年、政治を動かしているのは大衆の抱く「不安」です。衰退の不安、アイデンティティー(自己同一性・帰属意識)喪失の不安、グローバル化の不安、他者に対する不安――。
19世紀半ばから21世紀初頭まで西洋の大衆が抱いていた感情は「希望」でした。「明日は今日より素晴らしい」というのはマルクス主義の歴史観でもある。子は親よりも良い暮らしが望めた。ところが2000年代後半以降、希望は不安に取って代わられた。

欧米でナショナリズムが大衆の不安を糧に勢いを増している。16年の英国の国民投票を通じた欧州連合(EU)離脱決定と米国第一主義のドナルド・トランプ氏の米大統領初当選はその表れです。大戦後、ナショナリズムの超克を期して欧州統合を主導してきた独仏両国でも「反欧州」を叫ぶ右翼政党が伸長している。大衆はナショナリズムという空間に「避難先」を見いだしているかのようです。
欧米で左翼の取り組む「アイデンティティー政治」も問題です。左翼は伝統的に人権や基本的自由に普遍性を認め、植民地主義に対抗し、男性支配を批判し、女性解放を擁護してきた。しかし近年は大衆の不安を前にして、人間は個々の人種・性別・性的指向・信仰で定義されるべきだと説いている。人と人を結びつける普遍性ではなく、人と人を隔てる個体性を優先している。これが私の分析です。
右翼はナショナリズムに拘泥し、左翼はアイデンティティーに固執する。二つの現象は、実は一つのことを意味しています。「人間は皆、同じ価値を持ち、万人は平等だ」という普遍性の否定です。

世界で民主主義が退潮しています。振り返れば、民主主義の高揚期は1970年代半ばの南欧の民政移管、80年代半ばの南米の軍事独裁の終焉、89年の東西冷戦構造崩壊に伴う東欧の民主化、91年のソ連解体などで刻まれた、20年に満たない期間でした。
20世紀の民主主義の危機は主に軍事クーデターでした。21世紀の危機の特徴は「非民主的な指導者が民主的に選出され、民主主義を攻撃する」ことです。ブラジルのボルソナロ前大統領、ハンガリーのオルバン首相が該当しますが、代表例はトランプ米大統領です。自分は国民に選ばれた以上、言論・出版の自由や司法の独立を含む基本的自由に介入する正当性があると確信しているかのようです。
選挙は民主主義の重要な柱ですが、より重要なのは基本的自由の擁護です。米国で基本的自由が脅かされています。
世間に満ちているのはSNSなどで拡散された感情です。冷静で論理的・科学的な理性は顧みられない。民主主義をもたらした啓蒙主義が危ういのです・・・