6月16日の朝日新聞オピニオン欄「そもそも保守とは」、小熊英二・慶応大学教授の発言から。原文をお読みいただくこととして。
政治的対立を「保守対革新」として分析することはよく行われます。それが当てはまる場合もあるのですが、国や時代によってその内容は異なります。日本の戦後でも、変化してきました。安易に55年体制を基礎に考えることは、もはや避けなければなりません。アメリカでは、保守党はありません。イギリスでは、長い間、保守党の対立相手は労働党でした。国際政治では、保守対革新という構図は用いられません。政治的対立を思想の対立として捉えることもできますが、多くの場合はその下部に利害の対立があります。
―高市早苗政権は「保守強硬派」とも言われます。日本で「保守」とはどう定義できるのでしょう。
「保守とは相対的なもので、地域や時代によって変わります。共通の定義はできません。例えば、アメリカやヨーロッパ、日本といった地域でそれぞれ、保守の中身や結びつく争点は異なっています」
「国際プロジェクトの『世界価値観調査』からの分析では、ヨーロッパや北米では経済的争点が左右と結びつく傾向が強かったのですが、ほかの地域は必ずしもそうでなかった。東アジアでは家族に関する争点、国家の威信に関する争点と結びつく傾向があった。そして国家の威信では、冷戦との結びつきが大きな軸だったと思います」
―どういうことでしょうか。
「韓国や台湾の政党は、『アメリカとどういう関係をもつか』『自国は(北朝鮮や中国と対比して)どういう国なのか』で二大陣営に分かれます。日本も『アメリカとどういう関係をもつか』『日本は平和国家なのか』が争点で、それが日米安保や自衛隊、憲法9条に結びついていた」
「また1950年代の保守派の改憲論は戦前志向でしたから、家族や男女平等に関わる憲法24条も関係していた。『軍隊がないと一人前の国家ではない』という発言が男性の政治家からなされることも多かった。当時の護憲論は、こうした『国家の威信』や『家族の秩序』をめぐる争いで、それが結果的に『外交・安全保障』に分類されていた」
「第2次大戦後に形成されたこの争点が60年代以降も政党間の分岐を作っていて、経済は右・左を議論する基準になっていません。どの政党も減税と財政出動をセットで唱える傾向は明治期からあり、そこは今でも変わっていない」
「そもそも自民党や社会党という戦後の主要政党は、特定の明確なイデオロギーはなかった。はっきりしたイデオロギーや組織基盤を持っていたのは共産党と公明党だけでしょう」
―「革新」「リベラル」はどうみたらいいのでしょうか。
「日本の政党政治における『リベラル』とは『非共産党・非自民党』ということであって、体系的思想はなかったと思います。ただし10~20年ほど前までは、そこに『日本は平和国家であるべきだ』という要素もあり、日本の民衆の支持を得ていた。しかし世代交代が進み、この『平和主義』への支持は減少した」
「ただし日本政治における『保守』は、それ以上に体系的思想はなかった」