戦後の経済成長は、日本を世界最高水準の豊かな国にしました(その後は低下して、現在は上の下、中の上くらいでしょうか)。同時に、自由で、平等で、安全な社会も達成しました。過去や他国と比較してです。産業化で豊かになり、職業選択の自由や住む場所の自由も手に入れました。勤め人になって豊かになる過程で、平等になりました。これは、誇るべきことでしょう。
その中で、平等についての考察です。日本の「平等」には、経済発展だけでない要因があったと思うのです。まずは「日本人論」から。
各国の国民性を笑う小話に、沈没船の話があります。沈没しかけた船の乗客に、船長が海に飛び込むよう説得します。いくつかの型があるのですが、ここではその一つを。
アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」
イギリス人には「紳士はこういうとき海に飛び込むものです」
ドイツ人には「規則なので飛び込んでください」
フランス人には「飛び込まないでください」
日本人には「みんなそうしていますよ」
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という、笑いのネタもありました。自分で判断するのではなく、他人の行動を見て同調するのです。考えてみると、この思考と行動が、横並び・平等を尊重する通念をつくったようです。「世間を気にする」です。「集団主義」とも呼ばれますが、積極的に集団をつくり貢献しようというのではなく、集団に従っていたらよいという「消極的集団」です。
かつて流行った日本人論に、農耕民族と狩猟民族との違いがありました。日本は農耕民族で、村の中で稲作について同様の作業、共同作業をします。他方で、西欧は元は狩猟民族で、能力ある者が獲物を捕ります。獲物を捕るために、競う必要があるというのです。西欧でも狩猟生活はずいぶん昔になくなったと思うのですが、気質として引き継がれているのでしょうか。
村で共同して生きていく日本と、共同するが個人の判断が強い西欧との違いは、「この国のかたち」の違いを説明するにはわかりやすいです。「厳密な話でないな」と、批判しないでください。
この項続く