連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第253回「政府の役割の再定義ー官僚に仕事をさせるために」が発行されました。
社会の未来に関する議論に関して、官僚の発言が少なくなっていることを述べています。各分野の政策に一番通じているのは各省の官僚です。得られた知識や考察をもとに、意見を世に問うてほしいものです。
その際にお願いしたいことは、ぜひ、個人の名前で公表してほしいのです。その分野で長く、あるいは広く仕事をしてきた官僚の個人の意見は、決して無用なものではありませんし、多くの場合、今後の議論に役に立つであろうと思われます。発表することによって、やがて私見が組織の公的な見解になることもあるかもしれません。また、組織の政策にならなかったことも重要なのです。「この政策を決めるにはこのような背景があった」「このような案もあるが、採用されたのは別案である」「このような問題があるが、対応は将来に持ち越されている」といったことを書くことは、意義があると思います。他方で、こんなことを匿名で書いたのでは、無責任な「怪文書」になる恐れがあります。
官僚の発言が減ったもう一つの理由は、社会に新しく生まれてくる問題がこれまでの所管にすっきりとは収まらず、各省組織の中に拾いあげにくいことも考えられます。各省各局の分担管理に収まらない新しい課題を、どのように官僚機構が取り上げるのかが大きな問題です。そのためには、個別バラバラに見える諸課題を統一的な視点から位置づけ、総合的に対策を考え、実行する仕組みをつくることが必要なのです。
地方自治体には企画部や企画課がありますが、国では各省や各局にそのような組織はあっても、内閣にはありませんでした。内閣官房があり、内閣の重要政策に関する企画、立案、総合調整を所管しています。しかし、特定案件についての各省間の調整にとどまっているようです。
根本に戻ると、将来の日本を考え政策を考えることに関して、官僚の発言が減ったことの大きな理由は、目標と役割の再設定に遅れているからです。
官僚機構を再び活性化し、活用するためには、新たな官僚論が必要です。ところが、このような議論が本格的になされているようには見えないのです。公務員制度改革も取り組まれましたが、重要なのは、成熟社会における行政の役割、そして政治主導での官僚の使い方です。それは、制度論に収まるものではなく運用論が主になるでしょう。これについては、政治家、研究者、報道機関などの意見も重要ですが、何より当事者である官僚の、現実を踏まえた考えと発言が求められます。
もう一つ、官僚論の問題点を挙げておきます。それは、日本の行政と行政学が国内に引きこもっていることです。かつて「日本の官僚は世界一」と評価され、慢心したことの代償でしょう。この点を厳しく指摘したものとして、砂原庸介・神戸大教授の「日本の行政は他国の行政に学べるか―あるいは行政学の国際化」(季刊「行政管理研究」2025年6月号)を紹介しました。
これで本論を終え、次回からは「まとめ」に入ります。