1月31日の読売新聞夕刊コラム「とれんど」、岡田章裕・論説副委員長の「「財務省」が主役の珍しさ」から。
・・・主要な先進国の中で「財務省」が主語として頻出するのは珍しいことらしい。
経済政策の議論においてである。確かに日本では、「財務省が減税策を懸念」「財務省が歳出の膨張を警戒」といった表現をよく目にする。「首相官邸との攻防」「自民党との溝」といった構図で語られることもある。
「財務相」ではなく、「財務省」であることも特徴だ。
だが、海外の光景は異なる。政治家が主役で、米国なら大統領と共和党、民主党。独仏などでは連立政権内や政党間で活発な論争が交わされ、政策が決まっていく。
自助や財政規律を重んじ、バラマキに批判的な立場を取るか。福祉や所得の再分配を重視し、拡張的な財政を志向するのか。民意がぶつかり合い、政策が決まっていくのが望ましい姿だ。
税財政政策は、所得や年齢層、業界などで利害が複雑に絡み合うだけに説得には骨が折れる。だからこそ政治の役割は重くなる。
政と官には本来、あるべき役割の分担がある。国民の負託を受けた政治家は、目指す社会の姿を示し、政策を最終的に決断する。官僚は、その方針に沿って専門知識に基づく具体策づくりを担う。
「財務省」が政治の領域に入り込みすぎる現状は、矩をこえているのではないか。政治家が責務を果たさず甘えているとも言える・・・