ロバート・B・ライシュ著『コモングッド: 暴走する資本主義社会で倫理を語る』(2024年、東洋経済新報社)を読みました。考えさせられる本です。
著者が言う「コモングッド」は多義的に使われています。良識、共益、公共善の意味でです。著者は、アメリカ社会を支えていたこの良識が失われたことを嘆きます。資本主義の経済も、自由主義・民主主義の政治も、良識がなければひどいことになると指摘します。
規制の範囲内なら何でもやってしまう経営、いえ規制を破ってでも金儲けをする経営。政治も同様です。具体事例、行為者が描かれています。この本が書かれた2018年はトランプ大統領の時代で、彼の行動を批判した書として書かれたようです。
「勝つためなら何でもあり」の政治、「大もうけするためならなんでもあり」の経営、「経済を操るためなら何でもあり」の経済政策が、良き社会や良き経済を壊しました。
1984年と2016年を比較すると、一般家庭の純資産は14%減少しましたが、上位1000分の1の最富裕層が占有する富は、下位90%の人びとの富の総計とほぼ同じです。1972年から2016年の間に、アメリカ全体の経済規模はほぼ倍増しましたが、平均的勤労者の賃金は2%下落しました。所得増分のほとんどが、高所得層に向かったのです。2016年、金融業異界のボーナス総額は、法定最低賃金の7ドル25セントで働く正規雇用者330万人の年間所得総額を上回りました。
1940年代初頭に生まれたアメリカ人の9割は、働き盛りには両親よりも多く稼ぐことができましたが、1980年代半ばに生まれた人で働き盛りに両親より多くの収入を得ることができるのは5割です。(98ページ)「色あせる「アメリカン・ドリーム」」
法や規制を破ることは論外としても、その範囲内で人を出し抜くことが続くと、市場経済も民主主義も劣化します。アダム・スミスも、『国富論』の前に『道徳感情論』を表し、共感(倫理)の重要性を指摘していました。
自由主義経済は個人の欲望を解放し、本人とともに社会を豊かにします。しかし野放しにしておくと、とんでもないことが起きるので、会社法や独占禁止法などの規制、他方で消費者を守る規制が必要です。
良識や倫理を捨てた経営や政治は短期的には利益をもたらすでしょうが、長期的には「弱肉強食」の世界になり、経済も市民社会も停滞することになります。
各国の憲法も、共感や倫理や良識が重要とは書いていませんが、それらを当然の前提としています。最低限の決まりを破った場合は刑法が適用されますが、倫理的行為と刑法との間には広い「空間」があります。政治にしろ経済にしろ、それを運用するには、一定の決まりが必要です。しかしそれだけでは不十分で、信頼などの社会共通資本が重要です。同じような民主主義、市場経済の制度を導入しても、国や地域によってその実態や成果には差が出ます。
そして特に政治家、国の指導者となる人には、これまでは高い倫理が求められたのですが。「気になる言葉」