無関心と消極性

私は、現在の日本社会の大きな問題は、無関心と消極性ではないかと考えています。
連載「公共を創る」(第30回)では、私たちが社会で暮らしていく際に必要な、「装置や環境」「財産」を、社会的共通資本として整理しました。自然資本(自然環境)、施設資本(いわゆる社会資本、インフラ)、制度資本(各種サービス)、関係資本(ソーシャル・キャピタル)、文化資本(気風や助け合い精神、民主主義を支える精神など)です。そのうちの関係資本と文化資本が弱くなっているのです。

まず、他者への無関心についてです。
イギリス旅行中に、地下鉄に乗ったときのことです。座席は埋まっていたのですが、私たち夫婦が乗り込むと、勤め人と思われる若い男性と若い女性が、すぐに立ち上がって席を譲ってくれました。「そんな年寄りではないんだけどな」と思いつつ、「ありがとう」と言って座りました。
帰ってきて、羽田空港第3ターミナル駅から京浜急行に乗りました。前駅の羽田空港第1第2ターミナル駅から乗ってきた客で混んでいました。旅行鞄を引きながら私たちが乗り込むと、大きな旅行鞄を前にして座っていたアジアからきたと思われる若い観光客2人が、すぐに席を譲ってくれました。これまた「ありがとう」と言って、座りました。
品川駅で、山手線に乗り換えました。誰も、席を譲ってくれませんでした。

先日、小学校5年生の孫娘が、足にケガをしました。松葉杖をついて、母親と一緒に登下校しています。ある朝、通勤時に一緒になったのですが、丸ノ内線では誰も孫に席を譲ってくれません。
座っている人たちは、居眠りをしているか、スマホを操作しているか、ゲームをしています。まったく周囲に、関心がありません。目を上げた際に、松葉杖の子どもがいることを見ている人もいるのでしょうが、無関心です。日本人は親切だとか、おもてなしと言いますが、とてもそうとは思えません。

安心安全な日本社会をつくったのは、他者への思いやりであり、共助の精神です。この関係資本が弱くなると、安心安全な社会は壊れます。続く