一時的な現金給付は行動変容を遅らせる

7月26日の日経新聞経済教室、阿部彩・東京都立大学教授の「あるべき家計支援、普遍的な現金給付避けよ」から。

・・・近年、様々な形での「家計支援」が行われている。2024年度税制改正では1人あたり所得税3万円、住民税1万円の定額減税が決定した。一部の高所得者層を除くすべての所得層に対する減税といえる。また、燃料油価格の激変緩和措置が継続されているほか、夏を乗り切るための緊急支援として電気・ガス料金への補助をするという。
コロナ禍における特別定額給付金以来、一時的な家計支援が頻繁に実施されるようになった。これらの支援策の特徴は、対象者を国民全体としてとらえていることだ。こうした普遍的な手法は家計支援だけではない。子育て支援策でも、児童手当の所得制限が撤廃されるほか、3〜5歳児の保育無償化も記憶に新しい。
自治体でも、給食費の無償化が拡大しつつあり、東京都や大阪府では都立・府立大学の授業料無償化に踏み切っている。ちなみに、保育所も大学も給食費も低所得者に対する支援制度は以前からあるため、これらの施策で新たに便益を受けるのは中高所得層である。

背景にあるのは、物価上昇や円安などで膨らんでいる国民の負担感だ。「国民生活基礎調査」によると、22年から23年にかけて生活が「苦しい」と感じる世帯は51.3%から59.6%に増えている。今や全世帯の約6割が、生活が苦しいと訴えている。こうした国民感情にあおられる形で、政府が小出しの現金給付策を講じているのである。
しかし物価上昇が一時的なものでない限り、こうした単発の家計支援は一時的な気休めにすぎない。これは一種の「感情政治(Emotional politics)」だと筆者は考える・・・

・・・これらが必ずしも得策でない理由は2つある。一つは、普遍的な給付・補助金の受益者の大半は生活に困窮しているわけではなく、給付が何に使われるかわからないことだ。
モノの値段が変化するなか、これまでの生活をそのまま「維持」するのがよいことなのか。それよりも、多少苦しくても新しい物価体系に対応して、省エネを進めたり消費行動を変化させたり、働いていなければ働き始めたりすることなどにより、日本経済を刺激すべきではないだろうか。一時的な現金給付はそうした変容を遅らせるだけだ。
一方、物価上昇が生活困窮に直結してしまう層には支援が必要だ。減税による家計支援策には、そもそも課税額が少なく減免できる「幅」が小さい低所得層に恩恵がフルに届かないという課題があった・・・

・・・普遍的給付が必ずしも得策でない2つ目の理由は、その他の必要なサービスの給付の拡大を妨げる可能性があることだ。負担感の背景には、資源(所得など)と支出の両面がある。資源の増加のみで対処するのではなく、必要な支出がかからないような国づくり・街づくりをするという両サイドの施策が必要だろう。
例えば近年、都会でも路線バスが廃止・縮小しており、交通難民の問題が発生している。その対策として、資源にアプローチする方法はタクシー代の給付であり、支出にアプローチする方法は公共交通サービスの維持・拡充である。
タクシー代の給付は普遍的に実施すれば、マイカーを持つ世帯にはただのお小遣いとなる。また、たとえ交通難民を正確に特定して「正しい人」にタクシー代を給付したとしても、その地域に十分なタクシー供給があるかなどの運営面の課題もある。公共交通サービスの提供であれば、「誰に給付をするのか」という面倒かつ不完全な選別をしなくてもよく、確実に交通難民を救える方法といえる・・・