12月21日の朝日新聞オピニオン欄、山本龍彦・慶応大学教授の「「政治オペラ」の構造、切り込んで」から。
・・・先の衆院選以降、野党のあり方に関する議論が熱い。読者からも、「野党は批判ばかり」論に賛同する声、批判ばかり論を批判する声など、多くの意見が寄せられている・・・
・・・私が専門とする憲法学の観点から見ると、野党のあり方、野党と政府との関係性は、国会の統治構造によって強く規定されている。もちろん議員個人の性格にもよるが、審議手続きなど、現在の国会の統治構造上、野党は批判や対決に傾斜せざるをえない事情があるのだ。
例えば、国会運営に長く関わった元衆院事務局議事部長の白井誠氏は大日本帝国憲法下から形成されてきた、(1)内閣が提出した法案を野党が質疑で追及する「質疑応答型」の審議形式(2)与党事前審査制(法案提出前に与党が法案内容を審査し、承認を与える制度)(3)厳格な党議拘束、という「三位一体の統治構造」が党派を超えた議員間の自由な討論を妨げてきたという。審議は、構造上必然的に、与党多数派の承認を既に得ている法案の、「政府の都合による野党向けの説明会」となるから、野党議員は結論を承知のうえで「批判ぶり」を国民に向けアピールするほかない。また、会期中に議決に至らなかった議案は次の会期に継続しないという「会期不継続の原則」もある。この原則により、与党は会期中の法案成立を急ぎ、野党は会期切れの廃案を狙うという、およそ熟議からはかけ離れた政治が常態化する。
こう見ると、実質的で協働的な議員間の「討論」ではなく、硬直的で党派分断的な、さらに言えばショー化した政府・野党間の「対決」が行われるのは、国会が帝国議会だった時代から議事堂の内部で構築されてきた強固な統治構造のためでもあるわけだ。とすれば、仮に立憲民主党が「政策提案型」を取り込もうとしても、「構造」自体を変革しない限り、結局は「対決型」、それも劇場的対立型へと逆戻りする。
衆参各院と政府による内輪の取り決めや先例などから成る、こうした統治構造は、もちろん日本国憲法には書かれてはいない。しかしそれらは、わが国の議会制民主主義のあり方を根底において拘束してきた実質的な「憲法」といえる。しかしわが国の新聞は、このインフォーマルな「憲法」を明るみに出そうとせず、岩盤化した舞台の上で延々と繰り広げる「政治的オペラ(人間劇)」ばかりを報じてきたのではないだろうか・・・