2月8日の日経新聞経済教室、山本龍彦・ 慶応義塾大学教授「政治とコミュニケーション 思想が競争できる環境を」から。
・・・憲法学では、長く「思想の自由市場」という考えが支持されてきた。悪質・有害な言論や思想は、それへの批判言論によって淘汰されるから、市場での競争に任せておけば自然と良い言論が生き残っていくという考えだ。そこでは、政府が市場に立ち入り、言論の善しあしの判定者になることが、民主主義にとって最大のリスクとみなされる。
自由競争への信頼を基調としたこの憲法学説は、SNS(交流サイト)などのプラットフォームが言論空間の「新たな統治者」となった時代に、どこまで妥当性を有するのか。「アラブの春」から約10年、今やSNSは、偽情報や誹謗中傷など、健全な政治的コミュニケーションを阻む諸現象の温床となり、言論空間のカオス化を導いているようにも見える。このとき、言論空間への国家の不干渉を是とする思考は、むしろ民主主義を否定する方向に作用しないか・・・
・・・近年の問題は、プラットフォームがあらゆる言論の門番となることで、こうした諸制度が生み出してきたバランスが崩れ、言論空間が単一の論理と倫理に支配される可能性があることだ。「関心経済」とも呼ばれるそれは、魅力的なコンテンツを無料で提供して利用者の関心を引き、この関心(消費時間)を広告主に売る。そこでは、いかに閲覧数を増やし、滞在時間を増やすかが勝負となる。この論理の下では、丹念な取材を基に書かれた退屈な真実よりも、座して書かれた刺激的な噂話の方がもうかり、炎上が利益を生む。
そして関心を引く偽情報は、フェイククラウド(偽群衆)も手伝って、真実よりも速く拡散する。また、閲覧履歴などから利用者の政治傾向が分析され、その者の関心を引く情報が選択的に提供されるため、エコーチェンバー現象(似た者同士がつながり、思想が極端化していくこと)により利用者が部族化して分断が加速していく。中庸の思想は関心を集めずに埋没するだけでなく、部族化した空間でしばしば「狩り」の対象となり、沈黙を余儀なくされることもある・・・
・・・表現の「国家からの自由」に拘泥し、思想の自由市場を徹底して放任主義的に捉えてきた米国でも、重要な変化が起きつつある。米コロンビア大のティム・ウー教授は、プラットフォームの台頭により関心経済が言論空間を一元支配しつつあるなかで健全な政治的コミュニケーションを取り戻すには、米国の伝統を見直し、むしろ市場に対する国家の介入義務を強調することが重要だと説く・・・