日本は進化論を受け入れたか

2026年7月29日   岡本全勝

変な表題ですが、言いたいのは、次のようなことです。
進化論は、ご存じのように、生物が進化したもの、(神様がつくった)固定されたものではないとする考え方です。ダーウィンが、提唱しました。日本人のほとんどが学校で習い、それを受け入れていると思います。
ところが、生物については理解しているのですが、人がつくっている社会も同様に変化していくものだという認識は少ないと思うのです。生物が不変のものではなく、長時間かけて次第に変化するように、社会もまた停まることなく、変化するものだという認識です。生物界の法則を人間社会に持ち込むのは、次元が違うと批判はあるでしょうが。

ただし、ここで言う社会の変化は、かつて唱えられた「社会進化論」「社会ダーウィン主義」ではありません。「進化」は「変化」であって、「進歩」を意味していません。「進化によってよくなる」とか「生き残ったものがよいものだ」といった価値観を含みません。「適者生存」を主張しているのでもありません。社会は変化を続けていて、人や組織は変化の中で生き残る、残らないものもあるということです。

日本人は、「社会もシステムだ」とは理解したけれど、「プロセスとして変化するものだ」とは理解しなかった。そして生物界とは異なり、作為で変えることができるという理解が十分でないように思うのです。
「昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ」の境地です。それは東洋古典の理想だったのでしょうが、近代社会ではそれを許してくれません。特に経済・産業の分野です。昨日まで世界最高水準にあったものが、後発者の挑戦を受けます。それらと戦わないと、負けてしまいます。
経済成長期に、あれだけ新しいことに取り組んだ日本人が、1990年代以降、挑戦を躊躇するようになったと見えるのです。すると、「日本社会は変化することを好まない」あるいは「変化への挑戦を躊躇する」というのは、日本人の特性ではなく、近年の特徴なのでしょうか。

ジェニファー・ラトナー=ローゼンハーゲン著「アメリカを作った思想 ―500年の歴史」(2021年、ちくま学芸文庫)183ページに、プラグマティズムがダーウィンの進化論の影響でできたことを指摘しています。絶対的起源や絶対的終極を捨て去ったのです。