首相が語る責任

2026年3月19日   岡本全勝

3月8日の日経新聞「風見鶏」、峯岸博・編集委員の「高市首相が語る「責任」の重み」から。

・・・「首相はうかつに『責任』という言葉を使わない」。駆け出し記者だった1990年代、先輩からそう教わった。さまざまな不祥事での閣僚交代をめぐり野党から任命責任を追及されても、どの首相もかたくなに責任論をかわし続けた。
任命責任を認めるのはすなわち辞めることを意味するとの不文律があったからだ。「責任」という言葉はそれほど重かった。

日本経済新聞のデータベースで「首相」と「任命責任は私にある」をセットで検索すると、90年代はゼロ件だった。それが2010年代になると急増する。
その多くが安倍晋三政権時代だ。閣僚が辞任するたびに安倍氏は野党が拍子抜けするほどあっさり任命責任を認めた。「国民に深くおわびする」と頭を下げ、それで幕引きが図られた。
刑事責任は刑事罰を、民事責任は損害賠償などを伴うが、任命責任の場合は閣僚が辞めても首相に法的な罰や賠償は科されない。
首相は企業の経営者らとは異なり結果責任が特定されるケースも少ない。歴代政権では競うように「地方創生」や「女性活躍」が叫ばれたが、成果が見られず責任をとって誰かが辞めたという話は聞かない・・・

・・・責任ある態度で積極財政を進められるだろうか。学習院大の野中尚人教授は「中身を考え方や数字、目標、財源などとセットにして、国民に説明を尽くすのが『責任ある』の言葉が意味する本来の姿だ」と指摘する。「それができなければ無責任になる」とも話す。
責任に言及するなら未達の場合は辞める覚悟か、相手が納得するまで説明する姿勢が必要というわけだ・・・

・・・ハリウッド大学院大の佐藤綾子特任教授(パフォーマンス心理学)によると、高市首相は環境によってくるくる変化する「カメレオン型」の表現がうまい。
それによって「約束を破るのではないか、最後まで責任をとれないのではないかとの疑問がでるのを想定し、先に『責任がある』と答えておくのは世論への予防線でもある」という。大風呂敷を広げても「責任ある」と付けると安心感を与えたり、けむに巻いたりできる魔法の言葉のようだ・・・