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産業分類

2025年4月16日   岡本全勝

私は学生時代、産業分類として、第一次産業、第二次産業、第三次産業の違いを学びました。これはクラークの3分類で、ウィキペディアによると次のようなものです。
第一次産業 - 農業、林業、鉱業、水産業など、狩猟、採集。
第二次産業 - 製造業、建設業など、工業生産、加工業。電気・ガス・水道業
第三次産業 - 情報通信業、金融業、運輸業、販売業、対人サービス業など、非物質的な生産業、配分業。

かつてはこの分類が有効でした。「公共を創る」第41回で図1で説明したように、1950(昭和25)年では、第1次産業が49%、第2次産業が21%、第3次産業が30%でした。1970(昭和45)年には、それぞれ19%、34%、47%になりました。
1990(平成2)年では、第3次産業が6割になり、2015(平成27)年では、第1次産業はわずか4%で、7割が第3次産業です。産業の3分類は、意味を持たなくなりました。

現在、統計として使われているのは、日本標準産業分類のようです。そこでは、次のように大きく、20に分類されています。「大分類A~T
A農業,林業。B漁業。C鉱業,採石業,砂利採取業。D建設業。E製造業。F電気・ガス・熱供給・水道業。G情報通信業。H運輸業,郵便業。I卸売業,小売業。J金融業,保険業。K不動産業,物品賃貸業。L学術研究,専門・技術サービス業。M宿泊業,飲食サービス業。N生活関連サービス業,娯楽業。O教育,学習支援業。P医療,福祉
Q複合サービス事業。Rサービス業(他に分類されないもの)。S公務(他に分類されるものを除く)。T分類不能の産業

この中が、さらに中分類、小分類に分けられています。しかし大分類が20とは、多いですね。3分類なら、理解しやすいのですが。サービス業の中を、いくつかに括れませんかね。何か良い切り口はないでしょうか。試みておられる先学がおられたら、教えてください。

官僚による調整でなく議員間討論で

2025年4月16日   岡本全勝

4月3日の日経新聞経済教室は、飯尾潤・政策研究大学院大学教授の「少数与党下の政策、議員間討論で妥協点探れ」でした。
・・・2024年の総選挙以来、石破茂内閣は衆院で過半数の議席を持たない少数与党政権となり、25年度予算案の修正協議など従前とは違う政策決定過程が展開している。これについて財政膨張の傾向や政策決定の不透明性に批判も根強い。
ただ、これらは政治家が全体像を考え、責任を持って統治する仕組みが不十分だという日本政治の問題点が表面化したもので根は深い。政治家の行動様式を変えることが必要なのだ。
日本で議会に提出された予算案が修正されることはまれだ。今回の修正協議では国民民主党、日本維新の会、立憲民主党の修正案に対して与党である自公両党がそれぞれ対応したが、財源を示さずに巨額の歳出増を必要とする修正案が主張されるなど財政健全性が心配される状況が生まれた。
また各党個別に修正協議が進行したために、どの修正案がどういう理由で選ばれたのかが分かりにくい状況も生まれた。直接的には国会での予算案修正のルールが未確立であることが原因であるが、より大きな原因は、政治家同士では具体的な政策を議論しにくい日本政治の構造にある。

法案や予算案は、事前審査制と呼ばれる手順を経て与党の議論を済ませ、細部に至るまで確定してから内閣から国会に提出されるのが、日本における通常の政策決定の枠組みである。
そこでは法案や具体的な予算項目を所轄する省庁の官僚が、予算案の場合は財務省の査定を、法案の場合は内閣法制局の審査を受ける。さらに必要な場合には他省庁と調整を行いつつ、与党議員を中心とする政治家への働きかけを行う。
自民党の政務調査会の部会など国会議員が政策を決める場においても、説明するのは官僚の役割で、反対する議員を議員会館などに出向いて説得するのも官僚である。国会議員は様々な意見を主張するが、例外的な場合を除き、同僚議員と議論して結論を出すとか、反対する議員を説得するということは行わない。
与党内部の調整のかなりの部分が官僚によって担われているのである。官僚はそうした調整過程で政府全体の調整も行い、予算や法律の整合性が確保される仕組みになっている。官邸主導と呼ばれた時期も、首相の権威を背景に官邸官僚が各省の官僚を使って調整を行っていたのであった・・・
・・・そうした状況で、国会において実質的な審議が行われ修正などが生じると、政策調整に不慣れな政治家が非合理な決定をしてしまう可能性がある。そこで事前審査制で細部まで具体的内容を詰めてから国会審議に臨み、衆参両院では原案のまま可決することが政策決定の基本となってきた。
そのとき野党議員は、日程調整など議会手続きを盾に反対している法案や予算案の採決時期を遅らせるという抵抗を行う。かつては野党の抵抗で法案などが審議未了・廃案という結末を迎えることもあったが、内容に踏み込まない抵抗だから許される面があった。

欧州の議院内閣制諸国でも内閣提出法案が議会審議の中核を占める。しかし事前審査制のような仕組みが発達しておらず、具体的な予算項目や法律の条文は議会の修正で最終決定される決定過程が通例である。
そうした場合、予算修正の限界についての共通了解や、修正案に対する内閣側の発言権などが確立しており、一定の枠内で議会の論議が進展する仕組みとなっている。多くの国で、議会において議員が政策の調整主体となる仕組みができているのである。
日本のように官僚が政策をまとめてくれるのであれば、政治家が責任を持って決定を主導する必要は少ない。国会においても質疑によって政府側の非を見つけるほかは、日程闘争が主たる活動となる。
今回のように予算案修正の必要が出たとき、政治家が好き放題の主張を述べて財政バランスがとれなくなるのは自然の成り行きである。議論をしているうちに共通了解が形成され、政治的妥協の結果として政策が決まる仕組みなしには、政治主導は実質化しない・・・

コメントライナー寄稿第22回

2025年4月15日   岡本全勝

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第22回「選挙投開票にも「働き方改革」を」が4月10日に配信され、15日にはiJAMPにも転載されました。
今年も夏に、参議院議員選挙が予定されています。現行制度では、投票時間は午後8時までと公職選挙法で定められています。これを午後5時までに繰り上げてはどうかと提案しました。

かつて投票時間は午後6時までだったのですが、投票率向上のため、1997年に午後8時までに延長されました。しかし、2003年に期日前投票制度が導入され、投票に行く自由度は広がりました。昨年の衆議院選挙では、投票者数のうち約4割が期日前投票でした。
現行制度でも、投票時間の繰り上げは、各選挙管理委員会の判断で可能です。昨年の衆議院選挙では、全投票所のうち繰り上げを行った投票所数は約4割にも上っています。投票日はたいてい日曜日です。わざわざ日曜の夜に投票に行かずとも、昼か期日前投票に行けばよいのです。

「個々の市町村の判断で投票時間を繰り上げればよい」との意見もあるでしょうが、難しいのが開票作業の繰り上げです。他の市町村で続いている投票に影響を与える恐れがあるので、法定の午後8時以前の開票作業の前倒しはしにくいのです。法改正をして、投票時間を一律に午後5時までとすると、夕方6時に開票作業を開始できます。

全国の投票所には約30万人、開票作業には約20万人が参加しているとのことです。これだけもの人を、日曜日夜に長く残業させることはやめましょう。働き方改革は、ここでも必要です。

専門家になることは幅を広げること

2025年4月15日   岡本全勝

日経新聞私の履歴書、4月は平井一夫・ソニー元社長です。
第6回(4月6日)では、CBS・ソニーに入社して1年半、自らの仕事を振り返り、このままで良いのかと考えます。そして選んだのが、海外法務です。会社には、専門家がおらず、この「ガラ空き」の分野で誰にも負けないエキスパートになってやろうと考えます。

第7回(4月7日)では、次のようなことが書かれています。
欧米の音楽業界は日本としきたりが異なり、もめないように契約書を作ります。契約書の文面は無味乾燥ですが、読み込むうちに「ここには先輩たちが苦労して交渉してきた結果がすべて記録されている」と考えるようになりました。そんな目で書類を読むと、価値が変わってきます。海外法務の勉強に没頭するようになりました。
そこで気づいたことは、「専門性を磨くことはその分野に仕事を閉ざすように見えて、むしろ逆なのだと。私の場合は音楽から出版、さらにゲームへと仕事の幅が広がっていった」。

如月の望月に桜は咲いたか2

2025年4月14日   岡本全勝

如月の望月に桜は咲いたか」の続きです。
友人の古文の先生に聞いてみました。次のような回答をもらいました。なるほど、写実の世界ではなく、願望の世界なのですね。

・・・西行は、この歌を少なくとも、亡くなる三年前には詠んだようです。
西行が亡くなったのが1190年2月16日、この歌へのコメントが載せられている歌合せの記述があり、それは1187年のものらしいです。西行の切なる願いが歌われたものととらえられます。

そして、2月15日は、釈迦入滅の日とされている日だということが大きいのではないかと思われます。出家をした西行がお釈迦様にあやかってと思うのは想像に難くないです。
また、春は1月、2月、3月で、2月15日は、春のど真ん中。中秋の名月も秋のど真ん中、旧暦8月15日、かぐや姫もこの日に月の都に帰ったのだろうと思わせます。

実際の山桜の咲き誇る状態とは別に、お釈迦様にあやかり、春のど真ん中にあの世に行きたいという西行の心が詠まれていると考えるのはいかがでしょうか・・・