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地方税偏在とその対応

2025年2月5日   岡本全勝

1月30日の朝日新聞オピニオン欄に、砂原庸介・神戸大学教授の「「標準的なサービス」超える自治体施策 東京都の留学助成から考える」が載っていました。
・・・東京都の小池百合子知事は、大学生などを対象に海外留学の費用を助成するという方針を1月に明らかにした。保護者などが都内在住であることなどを条件としつつも、所得制限なしに助成が行われ、1年間で最大300万円を超える規模になるという。
このような方針は、広く若年層に海外生活を経験する機会を提供する一方で、東京に住んでいるかどうかで得られる機会に差異がもたらされる。もともと多様な機会に恵まれやすい東京出身者とそうでない地域の出身者の格差が拡大する可能性もあるだろう・・・

・・・このような差異はなぜ生まれるのか。直感的には東京の財政力が強いからだ。確かにその通りだが、この差異が何を意味するのか、もう少し考える必要がある。一般に日本の自治体には、国が作成する地方財政計画のもとで積み上げられる「標準的なサービス」のための支出を可能にするような収入が確保されるしくみがある。自治体の収入としてまず地方税などから計算される自治体の標準的な収入があるが、足りない場合には「標準的なサービス」のための支出との差額を地方交付税で埋めることとされているのだ。
東京都の場合、標準的な収入が、「標準的なサービス」のための支出に必要な額を大きく超えている。そのために、地方交付税交付金を受け取らずに「標準的なサービス」を提供できるだけでなく、それを大幅に超えたサービスの提供も可能だ。そして日本では法人税の一部も地方税とされているので、景気が良くて税収が増えるとサービスを提供する余地がより大きくなる。

他方、個人が支払う税金を考える場合、所得や固定資産に対する比率という意味で、地方税の負担が住む地域によって大きく変わるわけではない。たとえば個人への所得税であれば、だいたいどこに住んでいても所得の10%が税となる。ということは、個人から見ればどこでも同じように地方税を払っているのに、多くの自治体では「標準的なサービス」が提供されるのに対して、東京のように法人税が多い自治体では、はじめから標準を超えるサービスが可能になるのだ。
これまで日本では、「標準的なサービス」に多くの内容が含まれ、それを通じて国が地方を強くコントロールすることに批判もあった。地方分権を強調するなら、国と地方の役割分担を見直して標準とされる内容を整理し、東京をはじめとした一部自治体だけでなく、全ての自治体が同じように標準を超える部分について検討できる仕組みを考えていく必要があるのではないか・・・

 元交付税課長としては、意見を述べなくてはなりませんね。
この論考は、東京都が独自の政策を行う財源があることを指摘していますが、その奥にあるのは、地方団体間の税収格差です。

指摘された点は、検討する価値があります。交付税制度は地方団体の税収格差を調整する仕組みとしては、良くできたものです。かつての課題は、まずは財源不足団体対応でした。しかし、財源不足団体の不足分を埋めることはできても、財源が超過する団体から税収を奪うことはできません。東京都のような団体の超過分を減らすには、地方税制を変える必要があります。

20年前の三位一体の改革で、所得課税を3兆円地方税に移しました。これは地方団体間の税収格差を縮める効果がありました。さらに進めるなら、偏在の大きい法人課税を地方税から国税に移し、偏在の少ない個人所得課税を国税から地方税に移すという国税と地方税の税源交換が考えられます。これについては、「地方財政の将来」神野直彦編『三位一体改革と地方税財政-到達点と今後の課題』(2006年11月、学陽書房)所収と、「三位一体改革の意義」・「今後の課題と展望」『三位一体の改革と将来像』(ぎょうせい、2007年5月)所収に書いたことがあります。これらも、古くなりましたね。

地方税制(総務省自治税務局)と交付税制度(自治財政局)の両方をまたいで、検討する必要があります。学者の方々の提案も期待されます。

コメントライナー寄稿第21回

2025年2月4日   岡本全勝

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第21回「現代日本特殊論」が1月30日に配信され、2月4日にはiJAMPにも転載されました。

私が大学生だった1970年代に、日本文化論が流行りました。私も、わくわくしながら読みました。中根千枝著「縦社会の人間関係」、土居健郎著「甘えの構造」、イザヤ・ベンダサン(山本七平さんとのことです)著「日本人とユダヤ人」、ポール・ボネ(仮名で、日本人らしい)著「不思議の国ニッポン」。もっといろいろありました。京都大学人文研の日本文化論や文化人類学も。角田忠信著「日本人の脳: 脳の働きと東西の文化」も入れておきましょう。
これらは、明治以来続く日本文化特殊論ですが、その後に、日本経済・日本型経営特殊論が流行りました。どちらも、日本は世界の中で優れているのだと、うれしくなりました。

ところが、平成時代になって、本屋から日本人論が消えてしまいました。日本人は変わっていないの。それは、日本特殊論は、日本が西欧に追いつく際の心の支えとして読まれていたからではないでしょうか。
「西欧に追いつけ」と努力する際に、「和魂洋才」を信じたかったのです。ところが、西欧に追いついたことで、日本特殊論を掲げる必要がなくなりました。他方でアジア各国が経済成長に成功し、西欧化の成功は日本独自のものではなくなりました。ここに日本特殊論は終わってしましました。

近年は、違った日本特殊論があるように思えます。
日本人の勉強熱心、長時間労働は大きく変わっていません。しかし、経済は一流から三流に転落しました。日本はやはり特殊な国です。ところが現代の日本特殊論は、本屋に並びません。新しい特殊論は元気が出ないからでしょう。

日本人論が日本人向けの消費財であり、時代によって変化してきたことは、指摘されています。青木保著「日本文化論の変容」(1990年、中央公論社)、船曳建夫著「「日本人論」再考」(2003年、NHK出版)。
しかしこれらは、日本人論が流行した時代を取り上げていて、その後に廃れたことは書かれていません。そこを指摘したかったのです。

AI時代の「達人の技」

2025年2月4日   岡本全勝

1月13日の日経新聞経済教室、今井むつみ・慶応義塾大学教授の「AI時代に学ぶ「達人の技」」から。

・・・今の生成AIは、インターネット空間のテキスト情報を教科書として学習する。文法的に間違いない文を流ちょうに生成するという点では、人間を上回るようになったかもしれない。
人間は長い文を生成するときに主語が何かを途中で忘れてしまい、主語と目的語が一致しない文を作ったり、単語の選択をうっかり間違えたりしてしまうことが頻繁にある。
しかし、生成AIは大量の情報を並列に超高速で計算できる。記憶力も人間に比べれば無尽蔵と言ってよい。だから、今の生成AIはまず文法の間違いをしない。他言語への翻訳もたちどころにしてくれる・・・

・・・「カンマの女王『ニューヨーカー』校正係のここだけの話」という本を読んだ。米誌ニューヨーカーは米国の知識人が読む雑誌として名高い。洗練された英語に定評があり、文章は何重にもチェックされる。著者のメアリ・ノリス氏は同誌の最終的な文法チェックをする校正者だ。
ニューヨーカー誌には通常の文法の正しさの許容度より厳しい独自ルールがある。校正者はこのルールブックを頭にたたき込んでいて、ほとんどの場合、それを順守して文章を整える。
しかし一流の校正者の本領は、作家が規範を逸脱したときにどうするかの判断にある。ニューヨーカー誌に寄稿するのは並の作家ではない。もちろん一流の作家もうっかりミスをする。ミスなのか意図的な逸脱なのか。一流の作家がルールを逸脱したとき、校正者はその意味を考え抜く。そして逸脱したほうが作家の表現したい意味が伝わると判断すれば逸脱を許容する。
一流の達人があえてする逸脱を人は独創性と受け止め、その人の味と感じる。しかし逸脱が程度を過ぎれば誤りか理解不能と思われてしまう。独創性は、ギリギリの線での規範からの逸脱なのである。分野を問わず、ギリギリの線がどこかを直観的に見極められるのが本当の達人である。

認知科学では一流の達人と、普通の熟達者の行動や心の働きの違いが研究されてきた。普通の熟達者も仕事を早く正確にそつなくこなすことができる。両者を隔てるのは独自の味(スタイル)を確立しているかどうかである。ギリギリの線での逸脱を可能にするのは柔軟で臨機応変な判断力であり、それを支えるのは優れた直観である。
ここで、一流の達人とは「各分野に単一の基準で全員を比較した時にトップの人」ではないことを言っておきたい。一流の達人たちはそれぞれ異なる軸で規範から逸脱し、独創的である。だから、その分野には多様な達人の集積がある。そこに面白みも味も生まれるし、協同してプロジェクトを行う意味も出てくる・・・

440万番達成

2025年2月3日   岡本全勝

この画面の右上につけてあるカウンター。2月3日に、440万番を達成しました。いつも見てくださっている方々に、感謝します。
2日夜に見ると、もう100人あまりで達成でした。3日早朝に見ると、4440034でした。
次は4444444。これは、きれいなキリ番です。

430万番は昨年8月でした。「カウンターの記録、その2

旧態依然、日本の政治カレンダー

2025年2月3日   岡本全勝

1月10日の日経新聞夕刊に「旧態依然、日本の政治カレンダー」が載っていました。詳しくは記事を読んでいただくとして。一部を紹介します。

・・・政府・与党は臨時国会をこなしながら12月に翌年度の予算案と税制改正大綱を決め1年が終わる。年後半のカレンダーも時代の要請に合っているのか検証の余地がある。
典型は税制改正だ。伝統的に議論を主導してきた自民党税制調査会は12月の大綱の決定に向けて10月ごろから稼働する。10〜12月にしか動かないのは党税調の権威付けとの見方があるものの、いわば季節労働で機動性を欠く。
その年に先送りされた税制項目は事実上、1年間塩漬けになる。23年の骨太の方針に明記した労働移動の円滑化に向けた退職金課税の見直しは2年連続で結論を持ち越した。旧来の終身雇用を前提とした税制が改善されない。
各国は適切なタイミングをみて柔軟に税制を変更する。例えば、シンガポール政府は不動産価格を調整するため、住宅不動産を購入する際の「追加印紙税」を変動させており、23年4月は深夜に発表し、翌日から施行した・・・

増山幹高・政策研究大学院大教授(政治学)に日本の政治サイクルの課題を聞いた。
・・・通常国会の会期を150日に定めているのは悪いことではない。一定期間で会期を終えた後、行政機関を国会審議に縛り付けることなく、国会議員は外交や他の活動に注力できる。通年国会にすべきだとの意見もあるが、会期を定めない国でも年中国会を開いているわけではない。

問題は国会を開いている期間をどう活用するかだ。これまでの国会は野党が与党の揚げ足をとることに注力していた。時間を浪費させることにエネルギーを使っていたといってもいい。
野党が与党に対峙し、どちらの政策がよいかを競う論戦になれば、おのずと議会のあり方は変わってくる。

党首討論のさらなる活用を提案したい。野党は一方的に質問できる予算委員会を選びがちだ。むしろ与野党の取り決めで党首討論の開催を制限している慣行を本来の規則通りに改めるべきだ。
予算委員会で予算と関連ない質疑を繰り返しているよりは、規則に沿って党首討論を開催して討論回数を増やすべきだ。少数野党に5分だけの討論時間を与えても十分な質疑にならない。会期中に党首討論を10回やるなら、その1回分を共産党にあてるなどの措置をとればいい。
石破茂首相は熟議の国会を訴える。日程闘争から距離を置くのが一番いい。少数与党の現状にあって、野党が責任政党に脱皮できる好機だ。予算審議の回数や採決日をあらかじめ決められれば、日本の国会歳時記は大きく変わるはずだ・・・