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キリ番4444444その2

2025年3月12日   岡本全勝

なんと、4444444は、もう一人おられました。4000000番を取られた秋田県の佐藤さんです。0時9分だったとのこと。熱心だけでは獲得できませんから、運が良いのでしょうね。きっと、良いことが起きますよ。さらに4445444も取ったとのことで、その画像も載せておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

民意、感情と理性

2025年3月12日   岡本全勝

2月14日の朝日新聞オピニオン欄、山腰修三教授の「メディア私評」「民意を捉える 感情か理性か、誰に何をどう語る」から。
「民主主義にとって民意を捉えることが困難な時代」が来たと指摘して、次のように述べておられます。

・・・確かに一般の人々とジャーナリズムとの距離は、ますます広がりつつあるように見える。重要な点は、それが日本特有のものでも、偶発的な問題でもないということだ。民意の流動化それ自体は、ポピュリズムの台頭に見られるように今日の自由民主主義諸国に共通する現象である。そしてその背景にはメディア環境の変容、中間層の衰退、価値観の多様化といった社会の構造的な変化がある。

このように社会の急激な変化の中で民意が流動化する経験は過去にもあった。例えば20世紀前半には都市化、選挙権の拡大、そしてマスメディアの発達といった社会の大規模な変化の中で、民主主義の「危機」をめぐる議論が活性化した。それは民主主義を担う一般の人々は「市民」なのか「大衆」なのか、という問いでもあった。この場合、市民は理性的で自律性があり、対話を通じて政治に参加する存在であり、大衆は感情的で空気に流され、政治的な無関心と熱狂とを揺れ動く同質的な存在とされていた。
当時のジャーナリズムもまた、新聞読者層の急増を受けて「自分たちがニュースを伝える相手は誰なのか」という問題に直面した。ここで人々に「大衆」(感情)と「市民」(理性)という矛盾した二つの顔を同時に見いだす民意の捉え方が徐々に確立されてきた。その結果、大衆向けのビジネスモデルに根差しつつ、市民に向けて語るというジャーナリズムの文化が作られたのである。

今でも新聞の社説は市民としての読者に向けて語られる。その一方で、記事作りでは読者の大衆的な関心を高めるための「分かりやすさ」が求められ、時として感情を喚起するトピックや表現が重視される。そしてこの文化には、ジャーナリスト自身が市民として大衆世論を導くべきだという規範も組み込まれてきた。
この民意の捉え方はある種のフィクション(虚構)によって成り立っている。新聞読者の多くが日常的に社説や専門的な解説記事を熟読し、あらゆる争点について自分なりの考えを持つことは想定しがたい。その一方で人々はジェンダー、年齢、職業、地域、価値観や問題関心などの点において多様であり、決して一枚岩的な大衆ではない。マスメディア時代は新聞を購読する一般的習慣が存在し、新聞向けの広告市場も「おそらく多くの人が読むであろう」という想定で運用されていた。つまり、人々が市民としてニュースに日常的に接触しているという幻想に基づいて大衆向けのビジネスモデルが成り立っていたのである・・・
この項続く。

大震災から14年

2025年3月11日   岡本全勝

今日は3月11日。2011年3月11日の東日本大震災から、14年が経ちました。14年間は、発災直後から関与した私にとっては、長かったような、短かった年月です。「2011年4月2日の記事
被災地の皆さんにとっては、いつまでも忘れることのできない、ついこの間のことかもしれません。他方で、あの災害を忘れてはいけないのですが、生かされた人にとっては、現在と未来も重要です。

各報道機関が、特集を組んでいます。NHKウエッブが、「東日本大震災 宮城 岩手 福島 定点で見つめる14年」を動画で載せています。宮城県石巻市と岩手県大槌町は街の復興がよくわかります。福島県大熊町は原発事故の避難指示が解除されるまでは、作業に入ることができませんでした。ようやく、一部の地域で工事が始まっています。
100か所にカメラを据えた定点映像」もあります。

津波被災地では、モノの復旧はできたのですが、産業などが元に戻りません。これは、過疎地一般に共通することです。原発被災地は、帰還できるようになった時期によって、復興状況に濃淡があります。まだまだ、元の暮らしは戻っていません。
時間がかかりますが、事故を起こした政府として、復興の責任を果たさなければなりません。

ささやかな喜びの重要性

2025年3月11日   岡本全勝

2月19日の朝日新聞オピニオン欄「心潤す、ささやかな喜び」、竹村和久教授の「あなどれぬ、小さな豊かさ」から。

・・・苦しい生活の中で味わうささやかな潤い、喜び。プチぜいたくをしたくなる気分はよく分かります。
人の購買行動や満足感を説明するのに「心理的財布」という概念があります。心の中には複数の財布があり、状況によって別々の財布から支払っている、という考え方です。
スーパーのタイムセールで「50円引き」にこだわるのに、がんばった自分へのごほうびなら数千円~1万円単位の服や靴を平気で買う。同じ値段の化粧品を買うとしても、普段使いのスキンケアのためなのか、衝動買いなのかで心持ちが異なることがあります。

この考えを発展させて、私は「心的モノサシ」というモデルを考えました。消費者は、物を買うときに心の中にあたかも価値のモノサシを持っているかのように意思決定する、という考え方です。そしてその特徴の一つが「モノサシの感度の目盛りは目標値に近いほど狭い」ということです。
1万円の予算で買い物をする場合、5千円と5500円の違いより、1万円と9500円の差に敏感になりませんか。つまり、目標値ぎりぎり付近の喜びは大きくなる。予算ぎりぎりで買おうとしていたものに少し足すくらいの「プチぜいたく」は、この心的モノサシで説明できそうです・・・

キリ番4444444

2025年3月11日   岡本全勝

栄えあるキリ番4444444は、知人の鈴木さんが取ったとの報告がありました。3月10日夜12時頃です。本人とともに、連れ合いの方も挑戦してくださって、二人とも獲得できたとのこと。すごいですね。おめでとうございます。ご希望によって、『明るい公務員講座』を贈呈します。
上の画像が、ご本人の獲得した画面です。下の画像が、連れ合いの方が取った姿を、後ろから撮影したものだそうです。これまでの歩み「カウンターの記録、その2