孤独とともに発展したコンビニ

2024年12月8日の日経新聞日曜版に「「家庭」を商品化したセブンイレブン50年 孤独を伴って」が載っていました(これも古い記事ですが、速報性とは関係ないので許してください)。

・・・・セブンイレブンが日本に登場して今年で50年を迎えた。小さなスーパーなのか、新しいよろず屋なのか、誕生間もない頃はなんとも形容しがたい「異形の商店」だったが、2万店を超える巨大チェーンに成長。その影響力は世界にも及び、ついにカナダの同業と創業家による数兆円規模の買収合戦にまで発展した。

改めてセブンとは何だったのか? なにがここまで消費者、ビジネス界を魅了しているのか?
歴史を振り返ると、日本の家庭生活に深く入り込むと同時に「日本型個人社会」の発達がセブンやファミリーマート、ローソンなどコンビニエンスストアを世界に類のない小売業に育ててきたように思える。

1号店がオープンした1974年はダイエー主導の流通革命が進行し始めた頃だ。それは価格革命だった。大量仕入れ・大量販売で食品からテレビまで物価を下げ、夫婦と子供ふたり家族を主な顧客層として「経済の民主化」を推し進めた。
しかしセブンは違う。価格ではなく、「便利さ」と「習慣」に着目したのだ。例えば専業主婦という言葉が定着したのは高度成長期で、仕事が忙しい夫とこれを支える妻という「分業」が効率的だったからだ。まるで家庭の「原風景」にも見えた専業主婦型モデルだが、実は70年代には変化しつつあった。
分業化は落ち着き、女性の就業率は上昇していく。例えば1978年には「結婚しない女」という映画がヒット。女性の自立をテーマとした内容で、まさに意識と行動変化を映していた。セブンの創業者である鈴木敏文氏の口癖はまさに「社会の変化を捉える」。今の社会の半歩先にこそ、コンビニの潜在的なニーズがあると確信していた。
とは言いながらも、実はセブンも最初は品ぞろえに困惑していた。親会社のイトーヨーカ堂で若い顧客が買っていそうなものを置いたり、日本は生もの需要が多いのでスーパー的に生鮮品を置いたり、試行錯誤が続いた。購買経験を見ているうちにようやくコンセプトが定まった。「調理する必要のある生鮮品は不要で、調理しなくていい食品を柱にする」
まさに「家庭の商品化」こそがセブンおよびコンビニの成長源となったわけだ。鈴木氏はこんな発言をしている。「おにぎりやお弁当は日本人の誰もが食べるものだからこそ、大きな潜在的需要が生まれる。良い材料を使い、徹底的に味を追求して、家庭でつくるものと差別化していけば、必ず支持される」・・・

ここまで日本型コンビニが成長した背景には、おひとり様社会の成熟化も無視できない。博報堂生活総合研究所は年初に個の時代の幸福をテーマとしたイベント「ひとりマグマ」を開催し、日本の「ひとり」史を披露している。コンビニが誕生してきた1970年代は「ひとりなんてありえない」時代と位置づけていたが、2010年以降は「ひとりでも気にならない」時代と見立てる。
ひとりマグマでは「肌感覚だが、日本はファストフード店やコンビニなど世界で最も『ひとりになれる』施設が多い国だと思う」(大室産業医事務所の大室正志代表)という識者の声も紹介している。とりわけコンビニが成長してきた1990年代以降、企業や家族などの集団秩序は崩れつつある。

そもそも日本は内向きな国民性だ。ひとりで楽しめる数々の武器を手にして、縛りの強い共同体から解放された「超・個人社会」が日本で育まれているのではないだろうか。コンビニはそんな日本型個人主義と共鳴しつつ、世界でも類のない産業に変貌した。まさにコ(個)ンビニ。飽和化しつつも社会とさらに融和しながら、「異形」の小売りとして存在感を増していく気がしてならない。もちろん孤独という社会問題をはらみながらのことだが・・・
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